先日、僕の出身地である仙台の中学3年生からメールをもらった。彼女が中学1年のときに僕の写真展をみてくれたそうだが、その後世界の見方が少し変わったそうで、他の写真展や講演会などにも足を運ぶようになったという。
その彼女が、学校の文化祭で出展するためにある文章を書いた。
文化祭のテーマは「地雷」。この学校では、文化祭ごとにテーマを決め、そのことについて学生達が学んだことを発表するという。このときにひらいた「地雷展」の、最初の部分に展示するために彼女が書いた文章を送ってきてくれたのだ。
ちょっと長いが、本人の許可を得たので、全文を引用したい。
「はじめに」
地雷によって世界が受ける傷跡とは何でしょうか?
想像してみてください。
ある国では、地雷による犠牲者の1/3が私たちと同年代か、それ以下の子どもたちだそうです。遊びに行ったはずの兄弟が、数時間後には片足、片腕がなくなってしまった…。裏の畑のすぐ隣は、もう地雷危険区域…。通学路も完璧には安全と言えない。いつ、誰が地雷を踏むか分からない…。そんな事が起こりうるのです。
地雷が何より危険で悲惨だと言われるのは、地雷がどこにあるかが分からないという事にあります。戦争中に、兵士たちを怪我させるために大量に埋められた地雷は、戦争が終わった今も変わらず“敵軍”を地面の中で待っています。地雷は、道を歩いて来る人が“兵士”なのか“民間人”なのか区別することはできません。ですから、戦争が終わった今、残された地雷は一般市民をも犠牲にするのです。何の警戒もない小さな子どもたちや、野菜を採ろうとしていた人たちが地雷の線に引っかかってしまう。戦争が終わって復興を目指す村人たち、戻ってきた難民の人たち…、そんな人たちをも傷つけてしまうのです。
あなたは今日、どこを歩いてきましたか?どの道を歩いてきたとしても、そこに危険なものが埋まっている可能性は限りなく薄いでしょう。
「そこに地雷が埋まっているかもしれない。」
「次の瞬間、自分の足はなくなってしまうかもしれない。」
そんな事を考えて、私達は道を歩いたことがあるでしょうか?
私はありません。多分、クラスの子たちもみんなそう答えるでしょう。あなたはどうですか?地雷の恐ろしさは、日常の恐ろしさなのです。
日本もわずか3年前まで地雷を持っていたことを、あなたは知っていますか?
世界では、撤去されている地雷の数よりも、生産されている地雷の数の方が上回っている事を知っているでしょうか?
今なお世界には地雷が埋まっている国がたくさんあること、たくさんの人たちが地雷によって傷ついていること、地雷のために流された涙を、みなさんに知ってもらいたい!それが、文化祭でこのテーマを取り上げた理由です。
地雷がなくなれば世界が平和なるわけではありません。
では、どうすればいいのでしょうか?私達はこの学習を経ても、その答えを導き出すことはできませんでした。調べれば調べるほど、歴史は難しく折り重なっている事が分かり、人によって全然見方も考え方も違うものだとも分かりました。
「平和」とは、何なのでしょうか?
たったの2文字で表されるこの言葉の意味を、私達は考え続けています。世界にとっての平和とは?日本にとっての平和とは?私にとっての平和とは?あなたの、あなたの目の前にいる人の考える平和とは?…
これを通して、地雷、そして世界の平和を考えてもらえれば幸いです。自分の周りだけでなく、今この瞬間の世界を見てください。そしてもし答えが見えてきたなら、その時、地球はちょっと前に進むことができるでしょう。
3年 池川 香澄
この文章を読んで、僕は思わず唸ってしまった。僕が普段から言いたいことを見事に代弁してくれているような気がしたからだ。
平和な日本では、戦争のことなど、どうしても「他人事」として考えがちだ。
それをいかに「自分にも関係あること」として考えてもらえるか、僕ら報道者たちは頭を悩ますことになる。そうでなければ、結局は「ああ、可愛そう。。。」で終わってしまい、その後の行動に何も結びつかないからだ。
池川さんの文章を読んで、地雷のことを今までと違った見方で、より「身近」に考えるようになった人は少なくないのでは、と思う。
僕はこういう仕事をしていながら、実は世界情勢(特に日本の状況)に対してかなり悲観的な思いを持っている。それでも、池川さんのような若い人たちと出会うと、まだ捨てたものではないかな。。。と嬉しくなるし、なんだか彼らから元気をもらっているような気もするのだ。
その彼女が、学校の文化祭で出展するためにある文章を書いた。
文化祭のテーマは「地雷」。この学校では、文化祭ごとにテーマを決め、そのことについて学生達が学んだことを発表するという。このときにひらいた「地雷展」の、最初の部分に展示するために彼女が書いた文章を送ってきてくれたのだ。
ちょっと長いが、本人の許可を得たので、全文を引用したい。
「はじめに」
地雷によって世界が受ける傷跡とは何でしょうか?
想像してみてください。
ある国では、地雷による犠牲者の1/3が私たちと同年代か、それ以下の子どもたちだそうです。遊びに行ったはずの兄弟が、数時間後には片足、片腕がなくなってしまった…。裏の畑のすぐ隣は、もう地雷危険区域…。通学路も完璧には安全と言えない。いつ、誰が地雷を踏むか分からない…。そんな事が起こりうるのです。
地雷が何より危険で悲惨だと言われるのは、地雷がどこにあるかが分からないという事にあります。戦争中に、兵士たちを怪我させるために大量に埋められた地雷は、戦争が終わった今も変わらず“敵軍”を地面の中で待っています。地雷は、道を歩いて来る人が“兵士”なのか“民間人”なのか区別することはできません。ですから、戦争が終わった今、残された地雷は一般市民をも犠牲にするのです。何の警戒もない小さな子どもたちや、野菜を採ろうとしていた人たちが地雷の線に引っかかってしまう。戦争が終わって復興を目指す村人たち、戻ってきた難民の人たち…、そんな人たちをも傷つけてしまうのです。
あなたは今日、どこを歩いてきましたか?どの道を歩いてきたとしても、そこに危険なものが埋まっている可能性は限りなく薄いでしょう。
「そこに地雷が埋まっているかもしれない。」
「次の瞬間、自分の足はなくなってしまうかもしれない。」
そんな事を考えて、私達は道を歩いたことがあるでしょうか?
私はありません。多分、クラスの子たちもみんなそう答えるでしょう。あなたはどうですか?地雷の恐ろしさは、日常の恐ろしさなのです。
日本もわずか3年前まで地雷を持っていたことを、あなたは知っていますか?
世界では、撤去されている地雷の数よりも、生産されている地雷の数の方が上回っている事を知っているでしょうか?
今なお世界には地雷が埋まっている国がたくさんあること、たくさんの人たちが地雷によって傷ついていること、地雷のために流された涙を、みなさんに知ってもらいたい!それが、文化祭でこのテーマを取り上げた理由です。
地雷がなくなれば世界が平和なるわけではありません。
では、どうすればいいのでしょうか?私達はこの学習を経ても、その答えを導き出すことはできませんでした。調べれば調べるほど、歴史は難しく折り重なっている事が分かり、人によって全然見方も考え方も違うものだとも分かりました。
「平和」とは、何なのでしょうか?
たったの2文字で表されるこの言葉の意味を、私達は考え続けています。世界にとっての平和とは?日本にとっての平和とは?私にとっての平和とは?あなたの、あなたの目の前にいる人の考える平和とは?…
これを通して、地雷、そして世界の平和を考えてもらえれば幸いです。自分の周りだけでなく、今この瞬間の世界を見てください。そしてもし答えが見えてきたなら、その時、地球はちょっと前に進むことができるでしょう。
3年 池川 香澄
この文章を読んで、僕は思わず唸ってしまった。僕が普段から言いたいことを見事に代弁してくれているような気がしたからだ。
平和な日本では、戦争のことなど、どうしても「他人事」として考えがちだ。
それをいかに「自分にも関係あること」として考えてもらえるか、僕ら報道者たちは頭を悩ますことになる。そうでなければ、結局は「ああ、可愛そう。。。」で終わってしまい、その後の行動に何も結びつかないからだ。
池川さんの文章を読んで、地雷のことを今までと違った見方で、より「身近」に考えるようになった人は少なくないのでは、と思う。
僕はこういう仕事をしていながら、実は世界情勢(特に日本の状況)に対してかなり悲観的な思いを持っている。それでも、池川さんのような若い人たちと出会うと、まだ捨てたものではないかな。。。と嬉しくなるし、なんだか彼らから元気をもらっているような気もするのだ。
実に素直に同じような事を言ってきます
私は過去が、情勢が解れば解るほど
「そうは言っても自分には何も出来ない」
という諦めが入ります
大人って彼是余計な事ばかり考えて
直諦めてしまうような感じがします
でも、それはこの日本に居るからで…
自身にそのような恐怖が無いからで…
この文、素敵ですね。娘や息子にも見せます
「ヒトはなぜ戦争をするのか?―アインシュタインとフロイトの往復書簡」という本があります。アインシュタインが発明したものは、この手紙のやり取りの後に広島と長崎でその威力がわかりますが。この手紙は、ずっとナチによって隠されてきたとも言われています。ぜひ、子どもたちにも読んでもらいたいと思います。
私は、身近にいる障害のある子とか障害のある人に力を入れてしまうことが多く、世界平和まで考えることが大変だけれど(障害者はいま国内では法律が変わり、生活を続けるることが大変な状態)、それでも今年も小さいことを積み重ねていきたいですね。アインシュタインは自らを「戦闘的平和主義者」と書いています。私たちももしかしたら、もう、できる限り小さいことからなんて言っていられなくて、実は「戦闘的平和主義者」にならなければいけない時代に入っているのかもしれないと思ったりします。
香川さんの文章を読ませて頂いてありがとうございました。
私は誰かを変えようなんて傲慢な考えは持たないようにしています。
だから、そういう風にしか考えられない友達に
私の価値観をおしつけようとは思いません。
私は私のできることをしようと、「はじめに」を書きました。
長い文ですが、読んでいただけて光栄です。
調べてみると分かったんですが、
なぜかアフリカや中東・東南アジアが戦地になる事が多いですよね?
それがずっとなぜなのか疑問だったんです。
けれど、『ぼくの見た戦争』を朗読するためにじっくり読み返していてやっと分かったんです。
私が1番気に入っていたページだったのに、
なぜ今さら気づいたのか不思議な位でした。
青空の下で兵士が銃を構えている所で、
「朝の空気は、まだ肌寒いほど~」と言う所です。
あのページで邦典さんが伝えたかった事、
私の勘違いでなければ、それが答えなのだと思います。
だから、世界で起きている戦争や紛争は、私たちの日常の生活と関係があるという自覚を持たなければならないのだと思いました。
いつも全速で走れなくても、諦めないしぶとさを持つことだと思います。
世界も捨てたものじゃないと、いえるのは誰かが捨てないでいてくれたからだと思うのです。私は捨てていませんし、自分のできる限りのことはしていくつもりです。次世代のそういう人たちに世界を引き継ぐために。