Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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バグダッドの旧友

2007-04-15 22:10:53 | 中東
昨夜、友人のウェディング・パーティーにでかけてきた。

新郎となる僕の友人リックはUSA TODAY紙の特派員として、この2年間バグダッドで仕事をしてきた。USA TODAYに移籍する以前トリビューンの記者だったリックと僕は、94年にコンビを組んで1ヶ月ほど一緒にイラクで取材をした経験がある。気負うこともなく、気さくでとても仕事のしやすいいい奴だ。

ウェディング・パーティーといっても実際に結婚するのは6月で、式を挙げるのも彼の両親のいるマイアミということらしい。休暇で一時的にシカゴに戻ったリックと婚約者のために、シカゴの友人たちがささやかな宴をひらいたというわけだ。

リックとは昨年6月にもバグダッドで顔を合わせていたので、特に久しぶりというわけではないのだが、それでも元気そうな顔をみて安心した。イラク特派員としての仕事もあと4週間を残すのみということで、いくらかほっとした様子でもあった。

これまでにも何度か書いたことがあるが、現在のイラクで外国人がまともな取材をすることなどほとんど不可能といっていい。誘拐される危険があまりに高すぎるので自由に外を出歩くことができないからだ。人目をひくカメラマンにとっては状況はさらに厳しくなる。米軍に従軍しなくては写真を撮ることさえままならないし、僕などにとっては欲求不満が募るばかりの環境なのだ。

ホテルからでも記事が書けるとはいえ、リックはそんな場所でよく2年間も頑張ったなと思う。結婚後はニューオリンズの特派員として、台風カトリーナで破壊された街の復興を見届けるそうだ。

任期全うのためにリックは今日またバグダッドへと飛び立っていった。最後の4週間、気を抜かないで勤め上げて欲しいと思う。


レバノン

2006-07-24 03:29:14 | 中東
昨夜遅くシカゴに戻った。

3日前にイラクでの取材を終え、クウェートでフライト待ちをしていたのだが、シカゴのオフィスとのやりとりで忙しく、落ち着いてブログをアップする気になれないでいた。

レバノンのためだ。

ここ1週間で急激に悪化したレバノン情勢の取材のために、中東にいるうちにそのままベイルートに入りたかった。2日間かけてボスとかけあっていたのだが、結果はノー。相も変わらず予算がない、の一点張りだ。

また愚痴になってしまうのであまり書きたくはないのだが、今回はさすがに失望した。

現在のレバノン情勢は、今までのところ間違いなく今年最大のニュースだ。これほどの大事件にトリビューンが自社のカメラマンを派遣できないとしたら、一体この先何を取材するというのか?

僕がイラクに行っている間、この先年末までにシカゴの本社から120人がリストラされるとお達しがあったらしい。そこまで経営状況が悪くなっているということだ。

なんにしても、海外にでて取材ができないのではもうトリビューンにこだわる必要はない。それに、新聞社の社員でいる限り、こういう問題はいつもつきまとってくる。

来年にはまた身の振り方を考えなくてはならないなあ。



人々の表情

2006-07-17 18:53:41 | 中東
ラマディでの従軍取材も終盤に近づいてきた。

別のキャンプに移ってから、何度か昼間のパトロールに同行することができた。

この付近はそれほどの戦闘地域でないせいか、兵士がパトロールにでると、子供たちが近づいてくることがある。勿論彼らのお目当ては玩具やお菓子などだ。米兵たちがそういうものをトラックに載せて配り歩くこともあるからだ。男の子たちの間で一番人気のアイテムはサッカーボール。ワールドカップの影響もあったのだろう、みなサッカーボールを欲しがるのだが、もともと数が少ないので、貰える確率はあまり高くない。

「フットボール(サッカーボールのこと)ちょうだい」といって兵士によってくるが、ほとんどはキャンディーに甘んじることになる。

対照的に、大人たちの表情は複雑だ。

無邪気な子供たちとは違って、米軍を大手を振って歓迎するような住人は勿論いないし、多くは遠巻きにじっと米兵を見つめているだけだ。こちらが挨拶をすれば挨拶が返ってくるが、住人から話しかけてくるということはほとんどない。

米軍と抵抗勢力との激しい戦闘で、市内の建物の多くは崩壊している。数多くの一般市民たちが巻き添えをくって殺されたことだろうか。親が殺された、いとこが殺された、子供が殺された。。。ここではそんな話はたいして珍しくもない。

「イスラム過激派を倒して、イラクの人達の自治と治安をとりもどすため。。。」

そんな名目で米軍は戦っているが、もともとアメリカが侵攻してこなければ、過激派もいなかったし、電気や水道も通っていたし、家が瓦礫と化すこともなかった。。。

彼らの表情を見ていると、多くのイラク人たちは内心そう感じているんじゃないかと思う。



寝苦しい夜

2006-07-16 00:28:14 | 中東
昨夜同行したパトロール中に発砲をうけ、イラク兵士の一人が足を撃たれて負傷した。

普段は静かで比較的危険の少ない地域といわれていたので不意をつかれた感じだ。しかし、それが戦場。。。どこで何が起こってもおかしくはない。

2日前に僕らが移動してきたこの前線キャンプはまだ設備はまったく整っておらず、病人を運ぶ簡易担架を並べて、一部屋に15人ほどの兵士たちが寝泊りしている。勿論僕らもその一員をなるわけで、くそ暑い中、寝返りをうつたびに骨組みがギュウギュウと音をたてる担架のうえで寝苦しい夜を過ごしている。

1週間ぶりのシャワー

2006-07-13 16:30:29 | 中東
一週間ぶりにシャワーを浴びることができた。

他の前線キャンプへ移動するための中継地で一日休息をとっているのだが、ここのベースは比較的規模も大きく、シャワーや食堂の設備も整っている。

従軍が始まってから一週間、まともな写真が撮れていないのでだんだんと気が滅入ってきていたのだけれど、不思議なもので、単にシャワーを浴びて身体をリフレッシュしただけでまた少しやる気がでてきた。単純な性格??

この一週間で、ラマディでの米軍の動きは大方わかった。作戦のほぼすべては夜間におこなわれるので、僕らカメラマンにとってはきつい。さらに作戦内容は人口調査やレイド(家宅捜索)が主だし、夜間はまず撃ち合いの戦闘になることもないから、実際の「戦闘現場」に居合わせる確立は非常に少ない。

毎日数回、キャンプ付近にはドーンという地響きをあげて迫撃砲が落ち、銃声が鳴り続けているが、聞こえるばかりで目には見えないから写真にならない。当初予定していた戦闘の取材はもう見込み薄だ。

この先1週間は米軍の取材を続けながらも、これからのイラクの治安を担っていかなくてはならないイラク警察の動きを追っていこうと思っている。

自己嫌悪

2006-07-09 20:24:24 | 中東
ラマディについて4日目になった。

夜8時くらいから作戦に同行し、深夜2時か3時にキャンプに戻るという生活が続いている。

前のブログに書いたように、作戦のほとんどは過激派の逮捕を目的としたレイド(強制家宅捜索)か、住民を尋ねながら彼らの意見、要求をきいてまわる活動のどちらかである。いずれにしてもこれまで継続しておこなわれていたもので、特に目新しいものではない。おまけに夜の行動ばかりだから、明かりも少なく写真に撮れるものも限られてしまう。

今回はラマディで何か特別な作戦がおこなわれるかも知れないということで仕事を引き受けてきたのに、その予想は見事に裏切られた。結局これまでと何も変わったものが撮れそうな気配もなく、まだ従軍が始まったばかりなのにすでに気が重くなってきた。

正直なところ、昨年の時点で、イラクにはしばらく戻るのはやめようと思っていたのだ。

従軍している限り似たような作戦の繰り返しだし、かといって現在のイラクは、誘拐が多すぎるので単独で動き回り満足な取材ができる状態ではない。どっちに転んでも自分の思うような写真が撮れないことは身に染みてわかっているからだ。

昨日、キャンプのすぐとなりに2発の迫撃砲が地響きをたてて打ち込まれてきた。

幸い誰も怪我人はでなかったようだが、極端な話、迫撃砲がキャンプのど真ん中に落ちてきて何人もの死傷者がでるといった事件が僕の目の前で起こらない限り、ニュースになるような写真は撮れない、というわけだ。

ニュース・カメラマンの持つジレンマ。。。そうとはいえ、こんなことを心のどこかで望んでいる自分に恐ろしく嫌気がさしてくる。




海兵隊キャンプより

2006-07-08 17:38:52 | 中東
一昨日ラマディにある海兵隊の前線キャンプに到着した。

米軍ヘリコプターの乗り継ぎに手間取って数日を無駄にしてしまったが、ようやく従軍をはじめることができた。

とにかく暑い。この時期にイラクにきたのは初めてだが、予想していたとおりの暑さだ。日中は45度近くになるので、さすがの地元民もあまり外にでて動かないようだ。湿気が少ない分助かるが、それでも防弾ベストとヘルメットの重装備でいると気が遠くなるほど。シャツなど10分もしないうち汗でぐっしょりになる。暑さと、狙撃のターゲットになりにくいという理由で、海兵隊の作戦もほとんど夜間におこなわれている。

キャンプは前線につくられた一時的なもので、廃墟になった建物をベースにつくられている。発電機によってかろうじて電気はしかれているが、水道はない。シャワーもあびられないので、ボトルの水を使って身体を洗う程度。

設備の整ったバグダッドなどの大きなキャンプと違い、食事も朝晩質素なものが届けられるだけだが、夜の作戦に従軍すると朝は食事の時間までに起きられないので、あとはパッケージになった軍食で空腹を満たしている。

昨夜は午前2時からの作戦に従軍した。

集められた情報を元に、過激派の寝込みを襲って逮捕する、というものだが、以前同様、成功率はあまり高くはないようだ。僕の同行した部隊では、4件当たって逮捕率はゼロ。間違って踏み込んだ家は2件という有様で、昨年、一昨年に従軍したときとほとんどその状況は変わっていないようだ。

まだついたばかりで街の様子は把握できないが、追って報告したい。

イラク入り

2006-07-03 00:31:44 | 中東
今日の午前中、イラク入りした。

まずはバグダッドの米軍基地でIDカードの更新をしなくてはならなかったので、そのためにほぼ一日を費やしたが、とりあえずは従軍取材の準備は完了。

ここで3日ほどで過ごした後ラマディにはいり、そこでの状況を取材する予定だ。

ヘリコプターの窓からみえるバグダッド市街は、昨年と比べて特に変わった様子はない。空から見る限りは他都市と変わらず平穏な街にみえるのだが。。。

昨日も賑やかな市場での爆弾テロで60人以上が犠牲になった。

ビザ却下

2006-06-25 22:38:49 | 中東
昨夜遅く、バグダッドのスタッフから連絡が入ってきた。

「クニ、残念だけどイラクの情報省がビザの申請を却下したよ。。」

理由は「自衛隊撤退の時期のために、日本人をイラクに入れないで欲しい、と日本政府からの要請があったため」だという。

おかしなことだ。。。そう思って事情を確認するためにバグダッドにある日本大使館に電話をいれてみると、

「治外法権にもあたるし、イラク政府に対してそういう要請はしていません」という。

しかし、正式にはそういう要請はだしていなくても、何らかの形で日本人に対するビザの発給を認めないような働きかけはあったのではないだろうか、と勘ぐってしまう。そうでなければ、そういう理由をでっちあげてまでイラクの情報省が僕のビザ申請を却下するとは思えないからだ。

2003年の米軍侵攻から、僕はこれまでイラクに4回入国しているし、ビザを却下されたことは一度もない。

勿論現在のイラクは危険であるし、日本政府としてはあまり邦人に足を踏み入れてもらいたくない場所であることは重々承知している。しかし、僕らジャーナリストにとって、「危険だから行かない」という論理は成り立たないし、そんなことをいっていては仕事自体が成り立たなくなる。

一般の人が足を踏み入れることができないところだからこそ、僕らのようなジャーナリストが出向いて報道しなければならないのではないか。

これまで僕は外務省の人達にはできる限り協力してきたし、いい関係を築きたいとも思ってきた。しかし、今回の日本政府の過剰な対応には疑問を感じている。

僕が仕事でイラクに行かなくてはならないという状況は変わっていないし、従軍開始の日程ももう決められている。方法の如何を問わず、来週末までにはイラクに入国しなくてはならない。






イラク行き

2006-06-24 21:33:14 | 中東
多忙となまけ性ですっかりブログの更新を怠ってしまった。
なんと前回のアップからもう1週間以上だ。。。

数日前、突然にイラク行きが決まった。

今回はラマディで米軍に従軍しながらの取材になりそうだ。

2003年の米軍侵攻から今回でイラクはもう5回目になるが、正直いって従軍にはもう飽き飽きしている。毎回似たような写真しか撮れないし、なんといっても米軍におんぶにだっこになるから、自由もない。かといって誘拐、人質のはびこる現在のイラクの状況では僕ら外国人カメラマンが自由に街を動き回って取材することなど到底不可能に近い。

昨年の11月に南部のバスラを訪れた時もほとんど軟禁状態でろくに撮影ができなかったし、もうしばらくはイラクに行くこともないだろうと思っていたのだが、どういうわけか急に取材要請がきた。今回はシカゴトリビューンの仕事だけではなく、トリビューン系列のロス・アンジェルス・タイムズからの取材も兼ねているので、いつもより責任が重い。

急に取材が決まったので、ビザの取得に苦労している。

隣国のヨルダンでイラクの入国ビザを取得して、その足でバグダッドにはいる手はずになっているのだが、ビザの許可がおりるのに時間がかかる。従軍のスケジュールは決まっており、来週の日曜日までにはイラクに入らなくてはならないので、八方手をつくすためにバグダッドとヨルダンのスタッフと何度もメールのやり取りをしたり、バグダッドの日本大使館に連絡をいれたりと、結局今日一日はそんな事務仕事でつぶれてしまった。

前述したように、従軍しながらの撮影にはいろいろと不満がでることはわかっている。それでも、蓋をあけるまではどんな写真が撮れるかまだわからないし、少なくともシカゴにいて市長の記者会見なんかを撮っているよりはよっぽどましだ。

実のある取材にしたい、と思う。






誘拐ラッシュ

2005-12-07 02:09:34 | 中東
また誘拐された。。。今度はアメリカ人だ。

これでここ10日の間にイラクで誘拐され人質となった外国人は7人になった。その国籍はフランス、カナダ、ドイツ、イギリス、職種も警備コンサルタント、平和運動家、エンジニアなど多岐に及ぶ。まさに誘拐ラッシュである。

誘拐は、僕ら報道者にとっても一番の脅威だ。

銃撃戦などの戦闘状態はまだいい。経験をつめばある程度どう行動すればいいかわかるようになるし、運悪く弾に当たったり爆撃に遭遇しても、特に僕だけが狙われたというわけではないし、取材に対してそれなりの覚悟もある。

しかし誘拐は違う。自分自身がターゲットになるのだ。自分の知らないところで行動を監視され、隙のあるところで襲われる。前線のはっきりしている戦闘と違って、アパートや、タクシー乗車中、通りや市場のなかなど、誘拐はどこでもおこり得るし、犯人となる相手もまったく見えないので疑心暗鬼に陥ってしまう。

だからそれを完全に防ごうと思うなら、警戒の厳重な宿泊地に閉じこもっているか、外出するとしても何人もの武装ガードマンを連れて行かなくてはならなくなる。結局こんな状態ではろくな取材などできやしないし、写真撮影などなおさらだ。一週間前の僕のバズラでの滞在もほぼこんな感じだったので、欲求不満ではちきれそうになったのだ。

誘拐は、実際に政治、宗教的に頭のガチガチになった過激派の手で直接行われる場合もあれば、単に金目当ての盗賊の類いが手を下す場合もある。盗賊の場合は、誘拐した人質を過激派に売りつけて金儲けをしようとするので、人質が売られていく前に救出しなくてはならない。人質が過激派上部の手にわたり、ビデオが撮られテレビで放映される段階まで進んでしまうと、交渉が難しくなってしまうからだ。

手遅れになる前に内密に釈放交渉する場合や、身代金目当ての裕福なイラク人誘拐などのケースはまず報道されないので、僕らがニュースで耳にするよりも実際におこっている誘拐事件数は遥かに多いのだ。

2003年のバグダッド陥落以来、イラク国内での誘拐事件は数千件といわれているが、外国人の誘拐が200件以上、そのうちおよそ50人が殺されている。

人質になってしまった彼等が、無事に釈放されるよう心から願う。。。


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明日、ロンドン経由の飛行機でシカゴに戻ります。



くすぶったまま。。。

2005-11-29 04:56:32 | 中東
自由のないフラストレーションに悩まされながらも、どうにかイラクでの取材を終え、今晩また空港にあるあの150ドルのコンテナ宿に戻ってきた。

明日の飛行機でドバイに戻る。

残念ながら、イラクではもう取材を終えてもその充実感など全くない。前にも書いたとおり、ほとんど自由に動けないから思うように写真が撮れない。今年1月に訪れたときもそうだったし、この治安ではもうどうしようもないのだ。

自分の力をだしきれない撮影はつらい。仕事が終わっても、くすぶったままだ。

このような状況が好転するまで、残念だが今度こそしばらくの間イラクには戻れないなと思う。

監禁状態!?

2005-11-26 16:59:25 | 中東
こうなることはわかっていた。

自由に動けない。写真が撮れない。フラストレーションがたまる。。。

だから正直言ってまたイラクに戻ってくることには気が進まなかった。

それでもこの石油プロジェクトからイラクを外すわけにはいかないし、取材先が比較的状勢の落ち着いていたバスラだからまあ何とかなると思っていた。しかしアメリカ人ジャーナリスト、スティーブン・ビンセントが殺害された8月あたりから事態は急転し、現在バスラは誘拐、人質の確率がバグダッドを上回るほどの混沌に陥ってしまった。

2日前に空港のコンテナ宿から市内にあるアメリカ/イギリス領事館の敷地に移動した。こちらもおなじコンテナ宿だが、150ドルもぼったくられた空港のものとちがって宿泊は無料だ。インターネットの回線はさすがにないものの、トイレ、シャワーはついているので問題はない。政府関係者はもとより、技術者、警備関係などの人間がみな住んでいるので、規模は大きい。200棟以上のコンテナがずらりと立ち並んでいる。

この敷地内で、僕はいまほとんど監禁状態!?になっている。

外に出られないわけではないのだが、あらかじめ決めておいた取材地やインタビュー相手の家に、雇ったガードマンとともに車で向かい、人目をひかないようになるべく短時間で取材をすませ、また車に乗り込んで戻ってくる、という具合なので、街を自由に歩き回ることなどまったくできないのだ。

今回はひとつのテーマを撮影しているので、なんとか最小限のものは撮れているものの、これが一般のニュース取材だったらあまりの自由のなさに気が狂っているところだ。

今年1月の選挙取材のときもこんな状態で、結局米軍との従軍取材ばかりになった。従軍していれば、戦闘に巻き込まれることはあっても、誘拐される心配はないからだ。そのときに、こんな状況がかわるまではしばらくイラクには戻れないな、と思ったものだ。

今のイラクには、伝えなくてはならないことは山ほどある。しかしそれを僕ら外国人報道者の手でおこなうことは非常に難しい。限られた取材しかできないからだ。

現場にでなくてはならないカメラマンにとっては状況はさらに厳しい。レポータなら人目につかないようインタビューなどおこなえるが、写真を撮るのはそんなわけにはいかない。悲しいかなこの地は、僕らにとっては欲求不満のたまる、精神衛生上非常によくない土地に成り下がってしまった。。。

戦争の甘い汁

2005-11-23 15:13:04 | 中東
昨日ドバイからの直行便でイラク南部バスラに降り立った。

2003年の米軍侵攻以来、これでイラクを訪れるのは4度目だが、バスラははじめてだ。

砂漠のなかにぽつりとある飛行場施設。イギリス軍の管轄するこの空港敷地内にある宿泊施設に滞在することになった。ここ1ヶ月ほどバスラ近辺の治安が急激に悪化し、人質事件が多発しているために、僕らのような外国人が市内に滞在できなくなったからだ。

この空港敷地内の宿泊施設はB&Bとよばれているが、これは一般に使われるベッド・アンド・ブレックファストの略ではなくて、バハー・アンド・バーダウィルというこの施設を経営する会社の頭文字からとったようだ。この会社は建築工事や警備を請け負う会社で、クウェートやドバイでも同様のビジネスを展開している。ハリバートンやベクテル社と同様、ここイラクでは戦争のおかげで巨額の利益をあげている会社のひとつだ。

こんな会社の経営する施設に泊まるのは本意ではないが、まだまだ人質になって首を切られる訳にはいかないので仕方がない。

この宿泊施設にきて、たまげたことがひとつあった。

今までの従軍経験から、だいたいどんなところに泊まるのかは予想できた。こういう施設ではだいたい輸送コンテナのような箱型のプレハブのなかに2部屋つくられているが、ここのコンテナ部屋は兵士用ではなく、警備関係や各種エンジニアなどの一般人のコントラクター用なので設備が整っている。兵士用であればトイレやシャワーは別棟だが、ここではそれぞれの部屋に設置されているし、おまけにインターネットの回線までひかれてあるので便利この上ない。

しかし。。。だ。この観光地でもなんでもない砂漠のなかの防壁に囲まれたこのコンテナ部屋が、一泊なんと150ドルもするのだ!!

ナイジェリアやドバイで泊まっていた街中の快適なホテルでさえ、そんな値段はとられない。(先週のドバイではホテル代急騰のために数日間やむなく150ドル払ったが、その後少し安い宿をみつけた)アメリカ国内だって、ホテル代で150ドル以上払うことなど滅多にない。いくら設備が整っているとしても、ここならまともに考えても一泊50ドル程度で十分採算はとれるはずだ。

こんな所に宿泊するのはみなコントラクター達で、会社の経費だから宿泊費なんぞ気にかけない。そういう僕も状況は同じなのだが、今回の石油プロジェクトでは数カ国をまわっているのでいろんなことで出費がかさむ。新聞社からも経費は極力抑えろと釘を刺されているし、財政状態はかなり厳しい状態なのだ。ドライバーや通訳などの値段はあまり値切れないので、せめて宿泊費はなるべく安く押さえたいを思っている。だからこんなところでの一泊150ドルはかなりの痛手だ。

まあ僕の事情はおいておくとして、とにかくこの値段を聞いたときにはさすがに胸がむかむかした。

この戦争でイラクの市民や米兵たちが毎日のように命を落としているというその影で、何億ドルという巨額の甘い汁をむさぼるこういう企業が多数存在しているのだ。

一泊150ドルなど、まだ些細なことにすぎないのだろう。それでもはやいところ仕事を終わらせて、こんな施設からはとっととおさらばしたいものだ、と思う。



何もしなくていい時間

2005-11-22 04:41:32 | 中東
ドバイ最後の夜、なんだか中華料理が食べたくなって、ホテルから通りにでた。

以前もいったことのあるその店までは、キング・ファイサ・ロードという大通りを歩いて10分とかからない。この通りにはやたら家具屋が多く、次から次へとベッドやソファー、箪笥などを売る店が並んでいる。

店の前には決まったように椅子やソファーが置かれ、そこに腰掛けた男達が何をするわけでもなく、ただ通りを眺めている。それぞれの店先がみなそういう具合なので、歩道にはそんな男達の姿がずらりと並んだようになって、見慣れていないとちょっと異様な感じを受けるほどだ。

「なにか楽しいんだろうか?」

そんな男達の前を横切りながら、ふと思った。

彼らは、ただ腰掛けて通りを眺めているだけだ。食事をしたりチェスをしたりするわけでもない。ときおり仲間と言葉を交わす以外は、まったく何もせずにぼんやりしている。

しなくてはならないことや、特にすることもないのだろう。夜になるとこうして数時間をすごし、そして寝床にはいる。。。おそらくそんな日常の繰り返しなのだと思う。

「時間を無駄にしているなあ。。。」

特に楽しそうにも見えない彼らの姿をみながら、僕は一瞬こう思った。
しかし、その直後に、そんな感情を否定するかのように、自分の暮らしのことや、せわしく働く日本人のことが頭をよぎった。

大の男達がなにもせずにぼけっとしているようなこんな風景は、さすがに日本ではなかなかお目にかかれない。
しかし、彼らが本当に時間を無駄にしているなどということができるだろうか。

あくせく働き、自分を顧みる時間さえ奪われてしまった人間達に比べ、実は彼らのほうがゆったりと贅沢な時間を過ごしている。。。そんな風にも考えられなくはないではないか。

「何もしなくていい時間」。。。僕らが忘れてしまったようなそんな時間の過ごし方に、なんだか魅力さえも感じられてきた。