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加藤登紀子

 今から40年も前の話になるが、学生時代に真空管からトランジスタへの移行を体験した。中学時代から6BQ5-PPとか2A3シングルのアンプを作ってレコードを聴いていたのだが、大学を卒業する頃トランジスタアンプを作った。

 当時コンプリメンタリな出力トランジスタが入手できなかったのでNPNトランジスタだけを使ったセミコンプリメンタリアンプであった。それでも出力トランスのない直流結合だといって自慢していたものだ。

 これをパイオニアの30cmウーファーとオンキョーのホーンスコーカーにつないで加藤登紀子を聞いていた。全共闘世代だから加藤登紀子を聞いていたというのも少しあるが、本当は違う。彼女のレコードの音質がすばらしかったのである。アンプを改造するたびにかけたテストレコードは加藤登紀子だった。

 最近NHKに加藤登紀子が出ていた。彼女は学生運動の指導者だった藤本敏夫と獄中結婚。有名な「一人寝の子守唄」は獄中の夫を励ますために彼女が作詞作曲したものだ。

 番組は淡々とインタビュー形式で進んでいく。そしてその彼が肝臓がんに侵され、2002年に58歳でなくなったのだが、なくなる前、最後に聞いたCDが石原裕次郎だったらしい。そのCDの中には加藤登紀子が作曲した「わが人生に悔いなし」も入っていたようだが、自分のCDではなかった。「私の歌はこういうときに聞くような曲じゃないのよね」と低い声でつぶやいたのが印象的だった。

 加藤登紀子のレコードを引っ張り出してきて、電音のDP3000にかける。静かに感傷に浸ろうと思ったら、あやっ、ものすごいスピードでレコードがまわっている。ダイレクトドライブのロックがかからなくなってしまっているようだ。30年も前のターンテーブルだからしょうがないか。ipodでNe-Yoを聞きながら、明日にでも加藤登紀子のCDを買って来ようかなと考えている、、、、、Because Of You、、、、、



追:修理記録


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