熊本熊的日常

日常生活についての雑記

帰りに寄席

2012年04月13日 | Weblog

今週はこのブログの日々のタイトルを「帰りに」ではじめているので、金曜は寄席に行こうと一昨日あたりからなんとなく決めていた。行き先は鈴本か末広亭と思っていたが、なんとなく鈴本のほうにした。今度の勤め先の正式な入社日は16日で、今週はなんとなく職場にいるだけのようなものなので終業時間後にさっさと帰るが、それでも開口一番には間に合わず、二人目の紙切りの途中で席に着いた。今日聴いた番組は以下の通り。

紙切り 林家二楽
落語 「子ほめ」 柳家喬之助
落語 「権兵衛狸」 入船亭扇辰
漫才 ロケット団
落語 「寿司屋水滸伝」 春風亭百栄
落語 「湯屋番」 柳家さん喬
仲入り
太神楽曲芸 翁家和楽社中
落語 「のめる」 橘家文左衛門
粋曲 柳家小菊
落語 「甲府い」 柳亭左龍

主任の左龍を聴いたのは今日が初めてだ。仲入りの前に出演しているさん喬の弟子だが、師匠よりもいいんじゃないかと思うほどだった。ただ、細かいことをいえば、豆腐屋の亭主の人物像に多少の不自然さを感じる。噺の前半ではやや老成に過ぎたような印象があり、後半の一人娘の婿に取るという場面のそそっかしさとうまくつながっていない。手元に五代目志ん生のCDがあるのだが、志ん生自身のキャラクターのようなものに助けられている部分もあるだろうが、こちらのほうが自然にすっと聴くことができる。噺家というのはひとりで多くの人間を描くわけなので、そのためのネタをどれだけ自分のなかに持っているかということが芸を構成する上で重要なことになると思う。人間の発想はその人の経験を超えることはできないのだから、結局はその人自身が多くの人を惹き付けるものを持っていなければならないということでもある。噺家に限らず人間全体について敷衍できることでもある。いい芸だな、でもちょっと何か足りないな、こういうところが足りないのかな、自分も心がけないといけないな、と素直に気付かせてもらえることが、落語に限らず芸事を鑑賞する愉しさのひとつだと思う。


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