熊本熊的日常

日常生活についての雑記

告知するほどのことでもないのだが

2012年04月29日 | Weblog

通っている陶芸教室で生徒作品の展示販売イベントを開催することになった。出品点数がひとり1点に制限されているのと、会場が教室関係者以外にはわかりにくい場所なので、果たしてどれほどの来場者があるものなのか見当もつかない。昨年夏以来、壷ばかり挽いていて、在庫が増えないので出展制限はあってもなくても出すことのできるものは限られているのだが、昨年秋に住民票を置いてある自治体の美術展に出品した作品を出すことにした。昨日はその搬入である。作品展は5月9日水曜日から5月21日月曜日まで、西武池袋本店別館8階にある池袋コミュニティカレッジのギャラリーで開催される予定。

搬入のあと、子供と代官山で開催中の美術展「COLORS」を観にでかけた。会場は代官山ヒルサイドテラスで主催はジャイアントマンゴー。この組織の代表者は私が以前勤務したことのある会社にいて、しかも在籍期間が1年数ヶ月ほど重なっているのだが面識はない。今回はこの展覧会に知人が出展しているので、子供に彼の作品を紹介しようと思ってやって来た。会場は思いの外広く、68人の作家がそれぞれに場所を割り当てられて展示してある。どれもどこか中途半端でそこそこに楽しいけれどそれほど面白くはないと思った。なかには作り手の邪念が見え隠れしていて、いったいなんのためにこうした作品の制作をしているのか疑問が湧いてしまうものもある。あまり「アート」などと構えないほうがよいのではないだろうか。「アート」とか「芸術」という垢だらけの言葉など捨て去って、「表現」という幻想を捨て去り、素朴に自分の心と向かい合うつもりで制作してみるほうが、もっと楽しくて面白いものができるのではないか。作り手が楽しくなかったら作品を観るほうだって楽しくないし面白くない。尤も、そんなことを考えるのは自分自身に邪念があるということでもあるだろう。困ったものだ。

昼はヒルサイドテラスの近くにある民家風のレストランで食事をする。よく団体旅行で「昼は現地有名レストラン○○○でお食事」というようなのに登場するような「お食事」だった。ことのところ、何気なく入ってみたらとてもよかったという経験が増えて気を良くしていたので、久しぶりにがっかりした。

食事の後はサントリー美術館で「毛利家の至宝」を観る。毛利といえば先日訪れた広島は毛利輝元がそれまで五ケ村と呼ばれていた地域に広島城を核に築きあげた城下町なのだそうだ。毛利は関ヶ原で西軍の主力であったので、江戸時代には安芸から防長へ移されるが、維新では重要な役割を演じることになる。戦国時代に毛利元就が現在の中国地方を支配下に収めて以降、日本史において常に大きな鍵を握り続けたと言っても過言ではない。サントリー美術館が入居する東京ミッドタウンはその毛利家の江戸下屋敷跡で、その後陸軍の施設や防衛庁といった利用のされ方をしたにもかかわらず、ミッドタウン建設のために整地をした際に毛利家のものとみられる遺構や品々が出土しているのだそうだ。今回の展示にはそうした出土品も含まれている。しかし本展の要は雪舟だろう。それ以外は特にどうということもない、などというと罰当たりかもしれないが、今回は図録を買わなかった。

美術館を出た後、ミッドタウンのなかにあるカフェで子供はクラブの合宿で出かけた先で撮影した写真を、私は八丈島や仙台・松島の写真を見せながら話をして家路に就く。こういうときはiPadは便利だが、こういうとき以外にあまり利用価値を感じない。もちろん、さまざなまアプリがあって、そういうものを駆使している人たちがいるのは承知しているのだが、そういうものに魅力を感じないのである。昨日触れた茨木のり子の『倚りかからず』のなかに「時代おくれ」という作品がある。

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

  そんなに情報集めてどうするの
  そんなに急いで何をするの
  頭はからっぽのまま

すぐに古びるがらくたは
我が山門に入るを許さず
(山門だって 木戸しかないのに)

はたから見れば嘲笑の時代おくれ
けれど進んで選びとった時代おくれ
      もっともっと遅れたい

電話ひとつだって
おそるべき文明の利器で
ありがたがっているうちに
盗聴も自由とか
便利なものはたいてい不快な副作用をともなう
川のまんなかに小船を浮かべ
江戸時代のように密談しなければならない日がくる
 のかも

旧式の黒いダイアルを
ゆっくり廻していると
相手は出ない
むなしく呼び出し音の鳴るあいだ
ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子らの
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯草の匂い

何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ
(『茨木のり子全詩集』 花神社 241-242頁)

今はさすがにシッキムやブータンの子供たちもネットでつながっているのかもしれないが、それにしても、まっとうでありたいとやはり思う。


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