熊本熊的日常

日常生活についての雑記

いぶし銀

2008年09月23日 | Weblog
今日、実家でユーゴスラビア製の銀製スプーン6本セットを見つけた。殆ど使っていないので、渋い色に変色していて、それを使って何かを食べたいとは思わないが、たまには眺めてみたいような感じになっていた。

この銀の匙は1989年1月にドゥブロヴニクを訪れた時に土産として購入したものである。当時、既にこの町は世界遺産に登録されていたが、世界遺産であることはもとより、「ドゥブロヴニク」という町の存在自体を知らなかった。たまたま留学先の大学内にあった旅行代理店でパンフレットを見つけ、費用が安かったのと、写真が美しかったので出かけてみる気になったのである。

マンチェスターからBAのシャトル便でロンドンへ出て、そこからユーゴスラビア国営航空の直行便でドゥブロヴニクへ飛んだ。空港は旧市街の南にあり、空港から市街へ向かうバスの車窓から、アドリア海に浮かぶ煉瓦の島のような旧市街が見えてきたときには、おとぎの国のような風景に息を飲んだ。宿泊したのは旧市街の北側に広がる新市街の海辺にある国営ホテルだった。着いた日の夕食が旅行代金に含まれていた。食事は決められた時間にレストランで決められたものを頂くということになっていて、それはまるで修学旅行の食事のような風景だった。当然、食事の内容も残念なもので、社会主義国の現実を垣間見たような気分になった。

旧市街は城壁に囲まれていて、どの家の屋根も赤茶けた色の瓦で葺かれていた。業務などで許可を得た車両以外は旧市街に乗り入れることができないようになっていたので、その街並はいかにも欧州の古い町という味わいがあった。路地に入ると子供たちが遊んでいて、私の姿を認めると「コンニチワ!」と口々に挨拶をしてくれた。これには驚いた。日本人など滅多に来ない場所だと思っていたからだ。別の路地では、道端でアコーディオンをひきながら歌っている中年男性がいて、演奏が終わると彼の立っているところへ、建物の上の階の窓から紐につるされた籠がそろりそろりとおりてきた。男性はその籠から紙幣を取り出すと、上の窓から顔を出しているその家の住人たちに手を振っていた。そんな平和な風景がわずか2年後に崩れ去ろうとは、その風景のなかにいた誰も予想していなかったのではないだろうか。

あれからもうすぐ20年が経とうとしている。硫化した銀は「いぶし銀」と呼ばれ、もちろんそれを汚いと感じる人も少なくないだろうが、よい味が出ていると感じる人もいる。ドゥブルヴニクの町は、破壊と再生を経て、今は昔のように観光客を集めている。自分はどうなっているだろうか。なんだか、ただ汚くなっただけのような気もする。それではいけないとは思うのだが。