熊本熊的日常

日常生活についての雑記

リコール

2006年09月03日 | Weblog
今使っているパソコンのバッテリーがリコールされることになった。これから4~8週間のうちに新しいバッテリーが送られてくるのだそうだ。「リコール」というから深刻な事態なのかと思ったが、問題箇所の交換に4~8週間もかかるのだから、火急の事態でもなさそうだ。ユーザーの安全というより、メーカーの保身、いや、リスク管理の問題なのだろう。

最近、リコール騒ぎが多いように感じられる。パソコン、温風ヒーター、湯沸かし器、自動車、原子力発電所のタービン、エレベーターなど、いくらでも思いつく。

こうした現状を踏まえて、高齢化に伴う基盤技術の継承断絶といった構造問題を指摘する声も聞かれる。確かに、製造現場で基盤技術や製造技術のなかのノウハウに属するような属人的要素が継承されにくくなっているという事情はあるだろう。しかし、製品そのものが本質的に変化していることは無視できないと思う。技術革新の進展で、我々が日常利用する機械類は日々精緻になり小型化している。たとえ動作のための基本原理が同じであるとしても、部材が精密化することによって、そこに要求される製造技術には以前とは異質の要素が入り込むことになる。すると、技術そのものが相変化を起こすのだろう。つまり、従来の延長線上で発想することが意味を成さない事態に至るのである。人間の視覚で認知可能で、人間の手先で加工できたものでも、サイズを小さくしていくと、視覚から消え、指先ではどうすることもできなくなる。それを手先で加工していた時のロジックで扱うことが意味を成さなくなるのである。

部品の「ブラックボックス化」ということが言われる。機械に不具合が発生した時、どの部材に問題があるかを特定することはできても、何が問題なのかがわからないということだ。ある部品と別の部品をつなげると動作するのに、同じ仕様の別の部品をつなげると動作しない。同じ仕様なのだから動作するはずなのに、動作しない。このような状態を指して「部品どうしの相性が悪い」などと言う。そう言われると、そういうものかと思ってしまうが、無機質の物に相性などあるはずがない。ようするに原因不明ということなのだ。

人生には理解不可能な事象が満ちあふれている。機械や道具のように自分の外部にあるものは、理解不可能であることが理解できる。しかし、感情とか関係のような自分の内部にあるものは、理解不可能であることすら理解できない。少なくとも、私には自分のことはよくわからない。しかし、これはリコールできない。困ったことである。