「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その⑤

2015年05月23日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

バルセロナの小旅行から帰って二日が経ちました。
朝起きて事務所で仕事をして、夕方はブールに行って、またその後
仕事をして、妻と一緒に家で作った夕食を食べたり、料理の時間が
取れずつい外食をしたりという、僕の日常がすぐに始まりました。
それでも、今回は旅の余韻が後を引いています。

その中でも思い出すのは「バルセロナの赤」。
街の至る所に、或いはそれがなくては、食事の風景自体が成り立たない
かのような存在感のレッドカラー。
手を変え、品変え、あちこちに顔を出します。
でも、決して押し付けがましくはなく、魅力的な姿、様々なトーンや
ニュアンスで、旅人の視覚の中に飛び込んできます。









まさにこの土地の風土と文化に根づいた「ソウルカラー」なのではないかと
想うのです。 



「バルセロナの赤」、色々なところで出逢いました。
ご覧ください。





















このような、「バルセロナの赤」を見ながら考えたのが、
「デザインの仕事の基本」に関することです。

人々の気取らない、毎日の暮らしの中に潜んだ美しさ、華やかさ、
愉しさ、歓びを取りだし、一つの形にすること、それが人々の暮らしに
関わるデザインの基本だということです。
現代のデザイン論や美学にはそぐわない考えかもしれませんが、
僕は断固としてそう思います。

ガウディやユーゲントシュティール、或いはアールデコなどの19世紀末
前後の藝術、工藝が求めたもの、模索したものも、まさにそのような
暮らしの中から出発する、洗練されたデザイン、美しさだったのだと思います。
それに対して、現代のデザインの大半は、一定の社会層、文化的素養、
教養から切り離され、風土、文化、素材の固有性を失って、その中で著しく
商品化、無国籍化したものだと思います。 

「バルセロナの赤」 ー決して押し付けがましくはなく、魅力的な姿でした。
この土地の風土と文化に根づいた「ソウルカラー」のデザインだからだと
思うのです。










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バルセロナの街のあちこちに見かけるレンタル自転車置き場。
ここでも赤がシンボルです。
(1日単位で乗り降り自由、便利な良いシステムです。京都や金沢でも
こんな自由なシステムがあれば良いと思います。)