「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その①

2015年05月17日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

留学中の長男を訪ねて、妻と二人でスペイン・バルセロナへの初めての旅行。
ドイツ・デュッセルドルフからは飛行機で約2時間半ほどの距離、
着陸姿勢に入った飛行機の小窓からは地中海に面する、この古い街の
姿が目に入ってくる。もう初夏のような良い天気だ。



昔、35年以上前、まだ文学部の学生だった頃、ジョージ・オーウェルの
「カタロニア讃歌」の話を耳にしたことはあった。今思うと、70年代の
日本でも学生運動に関わった当時の若い人達にはインパクトのあった
本なのだろう。五木寛之の随筆の中でも、その本に触れた文章があった
ように思う。しかし、今の僕にはその頃の知識は殆ど無い。
むしろ思い浮かぶのは、現代のスペイン経済の不況や若者のとんでもなく
高い失業率、あるいはとんでもなく盗難の多い街だという噂などだ。
 
それでも、この街はカタロニアの文化とその長い歴史を語る街だろう、
そして、長男が半年の留学生活を送る街。今日からの数日が楽しみだ。



空港でビールを飲みながら小休憩、周囲の様子からも南の国に
やって来たのだな、と思う。



空港からのバスで早速バルセロナの中心部に向かう。
南ヨーロッパの夏。夜の8時といっても、まだ昼のように明るい。

バスから次々に写真を撮る。建築の面白さに思わず目を惹かれる。
フランスとイタリアを足して二で割ったような街の風景だ。






下の写真、不思議な建物だなと思い、シャッターを切ったが、
ホテルに着いてからガウディの有名な建築物だったということに気付く。

この後数日、バルセロナの街の何処を歩いていてもガウディの遺した
19世紀末頃の建造物や、それを支えたカタロニアのブルジョワジーの
見事な建築美、様式美に触れることになるのだが、それは全て後になって
分かったことだ。



バスで小一時間、夜九時前。長男のアパートのすぐ近くの小さなホテルに
到着する。初めて訪れたバルセロナの旧市街。
まさに何の知識もない街に着いたところだ。 





荷物を置いて早速外に出る。久しぶりに見る心が躍るような街の風景。
長男もウィーンから訪ねてきている彼女と一緒に迎えにやってきた。
この街で現代ヨーロッパの学生として、数ヶ月の日常を過ごした長男に
連れられて、旧市街の小道を辿る。



妻と一緒にタイムトリッブのような散歩をしながら。
思わず立ち止まってはじっと見つめてしまうような風景が次々に
目の前に現れる。



バルセロナの夕べ。人々が三々五々集まり、立ち止まり、あるいは
戸外のテーブルでワインを飲み交わす。
異国情緒の中に、南国の何も知らない初めての街の風景の中に、
幻想の中に突然、子供の頃の昔の浅草や夏の夕涼みの時間、石畳の風景
を見出すかのようだ。 



スペイン内戦もカタロニア賛歌も、23才の長男には遠い遠い過去の事
にすぎない。現代の日本の若者にとって、大正時代の日本が昔々の遠く
にあるのと同じようなことだろう。五十の半ばを過ぎた僕でさえ、
もはや漠然とした知識しか持っていないだろう。

けれども、この街には歴史を語る過去が、街全体が歴史を可視化する
オブジェあるいは大きなモニュメントのように、目の前にある。
妻や長男達がもうだいぶ先を歩き、角を曲がろうとしている。
僕は一人、夕闇の光の中、歴史が止まったような風景の中で考える。

日本の戦後70年は無条件降伏の敗戦自体を終戦と呼び、自らの過去を塗り潰し
消し去ってきた歴史なのだろう。高度成長と伝統日本の幻想的な共存を
歌う時代も随分長くなった。その虚構こそが多分、現代日本の新たな
伝統なのだろう。 



長男の下宿近くのビストロに到着。三人のフランス人が共同経営して
いるらしい。メニューの表紙からもバルセロナの歴史やアールデコへの
共感が伝わってくるようだ。

今日は両親の財布だから、と長男は久しぶりの肉料理を注文する。
数年前、沖縄、京都と三人で一緒に旅行した長男の彼女はこのところ
ベジタリアンからビーガンに移り、卵や乳製品も入っていない野菜料理
を目ざとく見つけて注文する。
それが下の写真、多分一番美味しい皿だったと思う。





野菜料理にしてもエスニックを自由に扱うのは、現代スペイン料理の
得意な分野なのかもしれない。
長男も彼女も今日は随分スペイン的な顔をしているなぁと、
写真を撮りながら思う。 



妻も本当に満足そう。



みんながそれぞれに愉しい、とても良い一晩だった。
僕は一晩ですっかりカタロニアファンになっている。


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