「継いでいくこと、喪われていくこと」

2014年05月30日 | ドイツの暮らし


先週は突然、日本に短期出張、神戸で日独間の企業買収の通訳の仕事。


夜は一人で街に出て、生まれて初めて三宮で飲んで、
今の日本の若い人達の仕事振りや男女の関わり合いの雰囲気を垣間見ました。
僕には分かるような分からないようなことばかり。



ドイツに戻った今週も日独合弁の薬品会社の監査通訳の仕事。
こんなことをもう30年近く続けてきた。

今日は久しぶりの休み。
昼過ぎから自分のライフワークだと決めてかかっている料理の仕事を始める。




途中、肉親の命に関わるような電話が日本から入ってくる。
けれども、今日、僕にとって大切なことは糠味噌の手入れだった。
そして、僕が心の底で本当に感じることは、自分が生活を共にして居る
家族と子供達のこと。





その後、冷雨の中、今日は誰もいない屋外の50mプールでたった一人、
1500m程泳ぐ。
最後の100mは両足がつってしまい、腕の動きだけで泳ぎ切る。

今は夜の一時。僕の人生はもう八割は過ぎたのかもしれない。
夜空を眺めながら、沢山の個人と人間の歴史のことを思う。
僕はもう30年余り、日本で生活したことがない。
それでも、この国が加速的に壊れて、喪われていくことを感じる。
僕が知る限り、過去1000年の世界史の中で、
日本は稀有の文化を持った国だったと思う。