銀座小十の奥田さんがパリに開いた本格的な日本料理のお店。まだ開店して
間もないとのこと。写真は奥田さんが秋の八寸を盛りつけているところ。
色々な制約がある中で大変なことだと思う。日本の食から自然に則した四季の
移り変わりがなくなって久しいことだ。今残っているのはむしろその思い込みや
慣習であり、実体的なつながりはほとんどない。料理屋さんでもその傾向は
顕著である。大都会となれば尚更だ。むしろ地方や田舎で昔からのしっかりした
家庭料理を日常としているところに残っているくらいだろう。
様々な葉が散りばめられて、一つ一つの料理が覆い隠されてしまう八寸。
秋には様々な姿と顔がある。それでも、外国では秋の紅葉という一つの
メインメッセージに絞らざるを得ないのだろうか。あるいは現代の都会には
秋は一つの顔の方がふさわしいのかもしれない。それなら東京でもパリでも
同じことだ。日本料理の国際化とはそういうことかもしれない。経産省や
現在の日本政府が日本の食文化に躍起となっていることも腑に落ちる。
けれども、才能のある料理人の人生と力が知らず知らずの内に虚しいことに
使われてしまうのは残念なことだと思う。何年かした時に、奥田さんの努力が
日本の伝統の軸につながり、それを長く受け継いでいく、素晴らしいものに
なって欲しいと思う。今はスタートしたばかりだ。
11月初旬、刃物の仕事でパリに行った時の写真。仕事の翌日、マレー地区を
散歩していたら路地の奥に引っ込んだビストロの前の中庭で、思わず足を止める
ような風景がありました。紅葉に寄せる想いは国それぞれで違うとしても、
美しさは変わらない。
パリのマレー地区で目に留まった二つのファサード。コンクリートや石に
囲まれた都会の生活でも四季の移り変わり、草木や花への愛着は人々の生活に
欠くことが出来ないもの。
パリから戻って来て十日あまり。
日本出張前の日曜日。晩秋のドイツ。冬が目の前までやって来ている。
自宅の庭でとれた野菜やキノコ、落ち葉や紅葉の写真。
妻と一緒に庭で野菜をつくるようになって大分になる。今年は栗カボチャも
うまく出来た。家族も猫も元気で有り難いことだ。