昨日のブログの続きです。
重要文化財の「金屋の石仏」は喜多美術館のすぐそばにある収蔵庫に収蔵された2体の石仏で、高さ2m強の石板にレリーフされており、向かって右が釈迦如来像、左が弥勒如来像といわれています。
金屋の石仏から大神神社の方に歩いてゆくと、標識がありました。山辺の道は標識が整備されているためとても歩きやすいのです。
当初開けていましたが、両側が林で鬱蒼としているところもあります。この階段を上がると三輪山平等寺の赤門です。
平等寺は大神神社の神宮寺でもありました。伝承によれば、かつては大伽藍を有する由緒ある名刹でしたが1868年(明治元年)、神仏分離令が出ると、1870年(明治3年)には、堂舎は破壊され、平等寺は廃寺となってしまいました。 しかし1977年(昭和52)、曹洞宗の寺院、「三輪山平等寺」として立派に再興され伽藍も復元されています。
平等寺の境内図、本堂、不動堂、釈迦堂
さらに山辺の道をたどると・・・、三輪成願稲荷社を経て大神神社へ。大神神社は三輪山を神体山とする我が国最古の神社です。
境内図、拝殿、神木(巳の神杉)、祈祷殿
くすり道を通り狭井神社へ向かいます。狭井(さい)神社は大神神社の摂社で、本社(大神神社)の荒魂を祀る神社です。社務所で許可をいただいて、この神社の境内山から三輪山に登拝することもできます。
磐座神社を経て狭井神社へ。
狭井神社境内の三輪山登拝口、狭井神社を出た右手にある市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)。
ちょうど12時になりました。市杵島姫神社の池(鎮女池)のほとりにある茶店で昼食を頂くことにしました。
続きは11月2日のブログで。
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