3月13日(水)朝、3月度暁月講座「中国古典に学ぶ会」に出席いたしました。所用のため、2月の総会は欠席したので、明治維新史の大御所である青山忠正氏(仏教大歴史学部教授)による記念講演『戊辰戦争と会津藩』は聴けませんでした。
岡本先生のお話は、30年ぶりに台湾のお坊さんから電話がかかってきたが、日本で一緒に学んだときにそのお坊さんから教わった(国が違えば考え方も違う)こと。
①宋の襄公の話:宋(弱小)と楚(強国)の間に戦いがありました。楚軍が泓水という川を渡って攻撃をしかけてきました。そのとき楚軍の隊列が乱れました。宋軍にとっては楚軍が立て直さないうちに攻撃するのは絶好のチャンスにもかかわらず、宋の襄公は「君子は人が困っている時に苦しめるような真似はしない」と攻撃を止めました。 結局、宋軍は川を渡りきって陣を整えた楚軍に大敗して、宋の襄公も負傷して命を落としました。中国では宋の襄公は「婦人の仁」と非難され、国王として失格だと言われてきました。<・・・・>日本では武士の情けなど美徳とされる。
②秦檜の話:南宋の名将の岳飛を謀殺した秦檜を憎む後世の人たちは、杭州の岳飛廟の前に秦檜夫婦が跪いた像を建てて、その像に唾を吐きかけてお参りする習慣がある。<・・・・>日本では死んだら皆仏になるので悪行を咎めない。
巻十 豪 155から162まで読み進めた。
本日の一文:大丈夫はまさに雄飛すべし。安んぞよく雌伏せんや。
この文の雌伏という言葉から「焼け野のきぎす(雉子)」を発想:野火があってもメスは卵を守り飛び立たないの意。これが国鳥に選ばれた理由だそうだ。ところで雉子の雄は天敵の蛇が卵を狙ってくると、怪我をした振りをして蛇を自らに絡みつかせ、そこで羽ばたき蛇の骨を折って殺してしまうのだそうだ。
アルカイックホテルの花壇です。