掲載の写真はほんの一週間ほど前に撮ったものである。「草若葉」にこの美しい写真と俳句を綴ろうと思いながら、他の用事に追われ今では機を逸した感がある。昨日から急に寒くなって東京では雪が降っている。ともあれ、この風景を紹介したいとキーボードを打つことにした。
我が家の南側の大通りは銀杏並木通り、北側の大通りはアメリカフウ(紅葉葉楓)の並木である。日頃何気なしに通っているが、今年は11月中頃になって南側は銀杏黄葉の真っ盛りで道路も落ち葉で彩られている。北側は盛りを過ぎて色が褪せ始めているものの、アメリカフウの紅葉が見事な眺めを見せてくれる。家のすぐ傍に、自然の移り変わりを演出する壮大な舞台があることに改めて驚いた。
南無三宝銀杏黄葉散りやまず
黄落の敷きつめられし通学路
紅葉葉楓あかき落葉に掌を合わす
アメリカフウ紅葉散りし音響く
初霜やいよよおでまし吾健在
初霜や野草のありか白く見ゆ
初雪やトランプショックの余波なりし
(好きな句)
南無三宝銀杏黄葉散りやまず~仏に帰依する心とフウの黄葉の見事さに驚く気持ちがかけられていて、いい句だと思いました。
初霜やいよよおでまし吾健在~軽快でいいです。九分九厘さんの独壇場かと。
見事な紅葉ですね。どこかアメリカ辺りの
街路樹かと間違えるような感じです。
次の句を頂きました。
アメリカフウ紅葉散りし音響く
この見事なアメリカフウの紅葉が散りゆく様は見応えあるでしょう。この音は実際の紅葉や風の音もあるだろうが、作者の心に響く音の方が意味深いように感じました。
初霜や野草のありか白く見ゆ
初霜が来て、まだ色の残る遠く一面の野草が白く見える。正に日本の初冬の原風景を思い浮かべます。街に住んでいると残念ながら、このような自然の織り成す季節の変化、美しさを見ずに終わる。惜しい事である。
コメント有難うございます。アメリカフウに最初に出会ったのが10年以上も前のことで、T先生と森林公園にスケッチに度々出かけたときでした。奥の方にアメリカゾーン、カナダゾーンなど国別の区画があって、このアメリカフウがあります。大きな五葉で真っ赤になって綺麗だと思っていたのですが、あとからすぐ近くに同じ並木があることがわかった次第です。以来この一寸変わった外来種の名前に愛着を持っています。
日毎に寒さが募り、身ほとりの光景も早くも
冬めいて来ましたね?2~3日前に見た銀杏
黄葉も今日見ましたら、見事に裸木となって
いました。
冬芽が青空の中に楽譜のように、ポチポチと
見えていました。小生の住まいします洛西も
京都市が竹林を切り開き開発しました住宅地
であり、街路樹もアメリカ楓、プラタナス、大楓
銀杏並木、橡の木、青桐などとても賑やかです。
時折り、わざわざ落葉の感触とその音を
楽しむ為に散歩に出かけ、子供のように
楽しんでおります。
九分九厘様のお住まいも、開発された高級
住宅街の街並みが見事ですね!!
ともあれ、今日は以下の御句を頂きました。
☆南無三宝銀杏黄葉散りやまず
南無三宝とは仏と法と僧の三者であり、仏とは釈迦如来ご自身、法とはお釈迦様の教え、
僧とはその教えを説き伝える者の意味であり、仏教を信ずることを三宝に帰依するとも
言うようです。
銀杏落葉の散り止まぬ光景は思わず、「南無
三宝」と唱えるほどの見事さですね!!
とても好きな、秀句かと思います。
☆黄落の敷きつめられし通学路
落葉を躍起になって掃き、掃除を行うのは
日本だけであると聞いた事があります。
全て落葉するまで暫くは落葉道の香りと風情を楽しみたいものです。登下校の学童の為
にも。
☆紅葉葉楓あかき落葉に掌を合わす
大きな葉のもみぢ葉楓はとても見事なもの
ですね?踏みしだくのが恐れ多いように
感ずる事もあります。
☆初霜や野草のありか白く見ゆ
初霜が降りますと、草地が雪が降ったように白くなります。その初霜に朝日が当たれば
光り煌き見事なものですね!!
☆初雪やトランプショック余波なりし
先日は東京にも初雪が降り、11月としては
54年振りとも言われ、21世紀のこの近年は
予想だにされない事が起きるようです。
まさかのトランプ氏が大統領選に勝利し
世界中に激震が走っています。
アメリカはTPP合意から離脱すると明言して
いるにも関わらず、国会審議では強行採決を
行い、参議院での審議に入りました。
どうも理解に苦しむ政権運営もトランプ
ショックの余波のようですね?
見事な黄葉ですね。身近にこのような景色が見られるとは幸せですね。ふかふかの落葉の上を歩くのは気持ちがいいでしょう。
南無三宝銀杏黄葉散りやまず
南無三宝は強烈な感嘆詞と取ればいいのでしょうか。歩道はすでに落葉で埋め尽くされ、なお樹上には豊かな黄葉が蓄えられているので、この先どうなるのか楽しみでもあります。
初霜や野草のありか白く見ゆ
初霜が下りたが全面ではなく野草だけというところがつつましくて好きな句です。当地ではまだ霜を見かけません。