江國滋の世界/(ゆらぎ)
~『俳句とあそぶ法』(江國滋 朝日文庫)より
江國滋は、永六輔・小沢昭一たちと「東京やなぎ句会」をつくるくらいの俳句好きである。(正確には、”あった”)この人に俳句のエッセイを書かせたら天下一品! 楽しさ、面白さ極まりなし。自然観照、花鳥風月、そして客観写生には、必ずしも組みしない。その江國滋(俳号 滋酔朗)が語る俳句談義の一節をご紹介いたします。そして折しも近々吟行の旅のことも話題になっているので旅の俳句とは、どんなものか見てみましょう。
この記事を読まれて、江國滋の俳句についての考え方をどのように受け止められたか、また彼の俳句をどのように感じられたか、みささまのレスポンスをお聞かせくだされば、嬉しく思います。
(旅行吟)
”旅先にあって、ふだんご無沙汰しているだれかれに絵葉書の一枚でも書きたい、と思い立つことはよくあることである。絵葉書の一筆くらいお安いご用だとして、せっかく旅にでているのだから、文末に、雪国や、とか駿河路や、とか、さり気なく一句添えてみたいと、いつも思うのですけれど、俳句なんて一度も作ったことがないし、生来不器用なたちなので、どにも作れなくて、もどかしい思いをしているのです、と某日、しみじみこぼしていたのは、本書の担当編集者F君である。あ、そうなの、俺もそうなのよ、とひと膝乗り出すひと、たぶんたくさんおいでだと思う。句ができない以上、絵葉書なんて書いたってしょうがないという気になるもんだから、旅の便りそのものも結局書かずじまいに終わってしまうんです、とF君はいう。
もったいない、旅信もそうだが、せっかく俳句心が兆したのに作る前に諦めてしまうというのが、何としても、もったいない。
まず作ることである。句のよしあしなぞ気にすることはない。だいいち、あなた、よしあしをいえた身分ですか。はじめて作るのに、よしあしなぞを口にするのは僭越というものである。
結果なんぞは考えないで、やみくもにとりかかることが先決である。なに、簡単なものよ。旅先で目についたものを一つ、季語を一つ、あとは「かな」でも「けり」でもお好きな結びを一つ、原材料としてはそれだけで十分なんだから
旅先で一句というと、すぐに、山だの、川だの、草だの、木だの、とみなさん、なんでそうあっちのほうばかりきょろきょろなさるのか。旅イコール風景イコール自然という公式に、あまりにもとらわれ過ぎておられる。山川草木もとより結構だが、それは、すっと、詠めたらの話であって、初心のうちは、何も自然の景色にこだわることはないのである。町中の電柱のビラでもいい。パチンコ屋の看板でもいい、かさかさのほっぺが 林檎を思わせる少女でもいい。通学ホームにあふれた学生服のにきびの行列でもいい。土地の人情、土地の料理なんかは最高の素材なんだし、地酒に方言ときたら、ますますよろしい。句になるものは、いくらだってごろごろしているではないか。”
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前書きはともかく、「東京やなぎ句会」の連中の旅行吟はどうなっているのでしょう。
”秋風や左ぜんこうじと読んでみる”(滋酔朗)
ー信州戸隠へ吟行へ出かけた時の句。人っ子ひとり通らない田舎道が寒々としてみえた。石の道しるべがぽつんと立っていた。あたりにはなんにもない。見に染みこむような秋の風が、ただ吹き抜けてゆくばかり。ぜ、ん、く、わ、う、じ、と一字一字、声にだしてゆっくり読み上げて、読み終えてみると、それがそのまま句になっていた。
”あぜにどっこいしょ浅間の山と俺”
”そばリンゴそれに空気がおいしいな”
-信州路の秋を堪能したあの時、変哲こと小沢昭一と、並木橋(現六丁目)と号していた永六輔が、こんな句を詠んでいた。人がどう思うか、などと考えていたら、こういう名句(?)は絶対に作れない。
みなさん、こんな句はたいしたことないね、思われるでしょう。では、プロはどう旅吟を詠んでいるのでしょうか。目にしたさまを、そのまま素直に詠めばそれでいい、と江國滋は言っています。その例、
”遺品寒々なかんずく借用書” (鷹羽狩行)
ー啄木記念館での句。遺品、寒々、借用書は、まさに「見たさま」であったにちがいない。そして、その三語の中に挿入した「なかんずく」の一語こそが、この句の眼目である。「見たさま」を詠む姿勢が、どれほど重要であるか知りたければ、対極に位置する「見ない」さまの句と対比させてみればよく分かる。せっかく旅先にありながら、自分の五感を働かせようとしないで、頭の中で観念の遊びをすることでたのしんでしまう句が一番よろしくない。
”大和またあらたなる国田を鋤けば”(山口誓子)
ー「また新たなる国」という表現が、一読、観念句のようにみえて、さにあらず。大和路に遊んだ作者の、これはしっかりした写生句なのである。季語は「田を鋤く」(春)である。鋤きかえされた田の土は、すなわち母なる大地にほかならない。みるみるうちに鋤きかえされていく黒々した土の色に、作者は「新たなる国」を感じたのである。しかも、この営みは、年々のことであって、「また」の一語が精彩を放つゆえんである。句柄が大きくて、なによりも格調が高い。
ここで海外の旅の句を一、二。
”シャンゼリゼ騾馬鈴沈む花曇り”(横光利一)
ーわかったようで分からない句である。・・でも、いかにも『旅愁』の作者の句だと思ったら、思っただけで、マロニエの香りが漂い、シャンソンが流れてくるからおかしなもので新感覚派の新感覚というのは、つまりこれか、という気がしてくる。
ーミロのヴィーナスを見る
”春の燈やもすそひだなす膝がしら”(北原白秋)
ーいい句でしょ?なんともいえず色っぽくて、しかも、下品にも、猥雑にも堕していない。上々のエロチシズムが横溢している。一句の雰囲気全体が、おっとりしているところが実にどうもたまらない。・・
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この本のことは、このくらいにして作者江國滋(滋酔朗)自身の俳句の実力やいかに? 鷹羽狩行の本『俳句一念』で、著者は、それを問うた一文を書いている。そこから江國滋酔朗の句をいくつか書き抜いてみる。
”姫はじめなき寂庵の乱れ籠”
ー江國と鷹羽狩行の対話から生まれた句。寂庵の玄関に、瀬戸内ファンのために常備してあるらしい署名本が各種何冊も、立派な乱れ籠に載せてあった光景に、鷹羽が<姫はじめなき寂庵の・・>と浮かんだ。しかし下五がどうしてもできない。「下の世話をぜひ」と頼んだところ、江國が、「乱れ籠」で仕上げた。”その俳句感覚には一本参った”とは、鷹羽の言。
”名刹はべからずづくめ山笑ふ”
”ものの芽や人にやさしくしたくなり”
”羅(うすもの)や一語の無駄もない女”
”することは山ほどありて夕涼み”
”したたかに酔うてなほかつ夜長かな”
”火の色を忘れておりし焚き火かな”
”正月の八坂神社は派手やわあ”
なお江國滋は、「俳句とあそぶ法」と題しながら、俳句に対する取り組み方が実にきびしかった。「遊びだからこそ、まじめに取り組む必要がある。きちんとルールを守って厳格に遊んでこその遊び・・」と云う。
ちなみに、江國滋辞世の句は、
”おい癌め酌みかわさうぜ秋の酒”
~~~~~終わり~~~~~
先ず松山の吟行中止の件、小生にも理由の一端があり大変申し訳なく思っております。
先月4月中旬より、疲労が抜けきれなくなり眩暈と極端に体調が悪くなり、暫く仕事も休み休養しておりました。春先からの極端な寒暖の差とストレス、加齢による自律神経の乱れからのようです。少しづつ良くなっておりますものの、あまりにも長引き、その結果仕事は止め退職しました。ゆらぎ様はもとより、小生も皆様も大変楽しみにしておりましたのに残念です。先ずは重ねてお詫び申し上げます。
さて、本題のご紹介頂きました江國 滋の「俳句とあそぶ法」ですが、大変楽しく有意義に拝読致しました。特に、高羽狩行との対話から生まれた句「姫はじめなき寂庵の乱れ籠」の件は愉快ですね!!。俳人では中々思いつかない措辞のようです。嘗ての俳聖芭蕉、又、虚子の言にもありますように俳句は何を詠んでも良いのですが、昨今の俳句は句会などに措いて、優劣を競う事ばかりに捉われ勝ちになっていると言っても過言ではないようです。花鳥諷詠による詩情、哀しびは勿論ですが、もう少し俳諧味や男女間の恋を詠んだものもあっても良いのではとも感じております。所謂あそび心ですね!!。俳句は勿論詩形を採るものと言えども、作者の日常生活の中から心の揺れ動くものなども気軽に詠う事、それが読み手に共感として伝わる事が必要とも思います。その事が江戸時代から庶民、武士などの士農工商の階級を超越した、句座における「連衆」としての仲間意識が俳句と言う文学を発達させた要因とも考えます。先ずは優劣はともかく、見たもの、感じたことを即吟してみる事が肝要なようですね。
さて、ゆらぎ様の主張に習い小生の住まいします、洛西の鄙びた村落からの光景を詠んで見たいと思います。但し、季節は色々になる事は座興のこと故、ご容赦下さい。
☆仁丹の看板村に柿若葉
宇宙時代とも言われる現代でも、時代の波からまったく取り残されてしまったような光景を鄙びた農村では時折見かける事があります。しかしその光景は、「何と古びた光景」と思うより、遠い記憶の引き出しを開けた途端のようにほっと心が和み不思議です。
☆外風呂の焚き口とざす秋の風
嘗ての農村には屋敷内に母屋とは別に、納屋、蔵、便所、風呂など別棟として建てられていました。今でも時折農村の旧家で、使われなくなったまま見かける事があります。この光景は散策の折見かける、煉瓦で焚き口を閉ざされた外風呂の光景です。
☆稲架(はざ)竹の白く残され軒の下
現代は田植えも稲刈りも、そして脱穀精米、乾燥もすべて機械化になっています。従って
稲架木、稲架竹などまったく不要となってしまいました。しかし、それでも長年使用してきた道具は捨てられないのが、百姓気質なのです。今、流行の「断・捨・離」とはまったく無縁のようですね。この心情はとても理解出来ます。
☆足揉みの洗濯まぶしく風薫る
嘗て洗濯機などまだ普及していなかった頃は、大きな衣料品などは家の前の小川の石畳で足揉みで洗濯をしていました。ひざをからげた白い足は、子供心にもとてもまぶしく思われました。
文中、俳人「鷹羽狩行」の漢字変換を間違えて「高羽狩行」としております。お詫びして訂正致します。
味わいのある俳句本のご紹介有難うございました。たまには肩のこらないかような大人の世界の俳句の楽しみ方もいいですね。なかなか江國滋も面白いですね。しかし、風流な俳句の世界で遊ぼうとすると一層実力も要ることを感じます。
体調がすぐれぬとのこと、ご家族もさぞかしお気遣いのことと思います。その中で、当ブログにお立ち寄りいただき、また俳論を展開していただき、ありがとうございました。
おん身大切に、おいといください。
たろうさんのおっしゃるように、「遊び心」は大事ですね。
拝見させていただきましたお句の中で、二句とらせていただきます。
ー仁丹の看板村に柿若葉・・赤と若々しい緑がよく調和しているように思います。懐かしい風景が浮かんできます。
ー足揉みの洗濯まぶしく風薫る・・・久米仙人の逸話が思いだされます。これも風景が、ぱっと目に浮かぶ佳句かと。
長文をお読みいただき、ありがとうございました。たろうさんの指摘のように、遊び心、風流の感じられない句は面白くありません。か、といってそういう句がパッと詠めるわけではありませんが。ところで江國滋にはもう一冊、『俳句旅行のすすめ』という文庫本があります。飛騨路を旅した時の句は、初夏の高山あたりの光景が目にうかぶようです。
”繚乱の飛騨路すみずみまでの初夏”
することは山ほどありて夕涼み
明日から松山に出かけます。旅吟のこつを教えてもらったようです。帰ってきてから、鎌倉と松山の吟を披露いたします。乞う! ご期待。
好天下、松山旅行を楽しまれたことと思います。その成果を期待いたしております!!
長文の俳論興味深く読ませていただきました。
小生句作を始めてすでに6年経ちましたが、いまだにお硬い、面白味のない句しか作れません。江國滋の考え方を参考に、肩の力を抜いて周囲をよく観察することで改善を図ろうと考えます。やはり旅行や散歩のように動き回ることが必要と思います。「遊び心」はまだまだ先の課題です。