花茗荷地湧菩薩の生れしごと
花茗荷誰の指図か一斉に咲く
生れ継ぐる日蔭の仙女花茗荷
憂さあれど喉元過ぐる走り蕎麦
新蕎麦や信濃の景の晴れしこと
絵そらごと我恥じ入るや初紅葉
初紅葉豪雨に祟る日本列島
我が家の庭の一隅に茗荷が植えてある。一夜明けてみると一斉に花が咲く。白い透き通った愛らしい花弁である。日蔭で何も手入れもしない所で、かくも可憐な花を咲かせるのは神のなせる業か?
花茗荷地湧菩薩の生れしごと
花茗荷誰の指図か一斉に咲く
生れ継ぐる日蔭の仙女花茗荷
憂さあれど喉元過ぐる走り蕎麦
新蕎麦や信濃の景の晴れしこと
絵そらごと我恥じ入るや初紅葉
初紅葉豪雨に祟る日本列島
我が家の庭の一隅に茗荷が植えてある。一夜明けてみると一斉に花が咲く。白い透き通った愛らしい花弁である。日蔭で何も手入れもしない所で、かくも可憐な花を咲かせるのは神のなせる業か?
お早うございます!!。
☆生れ継ぐる日蔭の仙女花茗荷
庭の片隅の日蔭に一斉咲き出す花茗荷は、透き通った花びらが愛らしくまさに日蔭の仙女ですね!!。季節になれば採っても採っても又出てきますが、生れ継ぐるとは大変納得です。日毎に朝晩冷ややかになる時季の花茗荷を趣き豊かに詠われ、共感の一句です。
☆憂さあれど喉元過ぐる走り蕎麦
他人(ひと)にはあまり言わなくても、憂さは誰しも心当たりのあるものですね?季節がめぐり、美味しい走り蕎麦をつるりと頂くように憂さもするりと通り越させたいものです。走り蕎麦に託した心情を、巧みに詠われました。
☆新蕎麦や信濃の景の晴れしこと
信州の新蕎麦の出回り初めは、秋晴れの爽やか時季ですね!!。信州高原の良く晴れ渡った爽やかな青空の光景が眼の前の広がります。旅心を掻き立てられる素敵な一句です。
☆初紅葉豪雨に祟る日本列島
全く本当に、日本列島何処にいても安全な場所は無くなって来たようですね?現在でも台風が立て続けに発生し、しかも進行方向の予想も難しいほどですとか・・・。自然現象とは言え、地球温暖化が大いに原因しているとも言われ、日本の温暖な四季が破壊されそうですね?台風が来ても、被害が無いことを祈るばかりです。
九分九厘様
ひと雨毎に紅葉が進み、秋の盛りを迎えようとしています。充分ご自愛頂き更なるご健吟を期待致しております。
そこで相聞句を!!。
☆秋雨や楚々と色づく庭の木々
☆何もかも忘れたき日や花茗荷
☆秋雨や尼僧待ちゐる眼科まえ
次の句を頂きました。
花茗荷地湧菩薩の生れしごと
花茗荷を菩薩に例えられたのは見事です。日頃の作者の仏教への思い入れが自然体で出ているように感じられます。
憂さあれど喉元過ぐる走り蕎麦
浮世の憂さは限りなくあるものの、走り蕎麦といっしょに飲み込むとは、どこか江戸情緒も感じさせる巷の俳句ですね。
絵そらごと我恥じ入るや初紅葉
最初この句の意味がよく分かりませんでしたが、句会で解説を聞き、奥深いところを詠まれたのだと分かりました。作者の謙虚さが出ており、しみじみと秋を慈しむ姿が見えてきます。
コメントをありがとう御座いました。
<何もかも忘れたき日や花茗荷>、
まさに、 花茗荷は不思議な仙境に誘うような雰囲気を持っています。新蕎麦のつゆに入れて食べるのもおいしいものです。俳句の上では季重なりとなり駄目と言われそうですが、
<花茗荷添へて適へし走り蕎麦>
三句お選び頂き有り難う御座います。『法華経』に、釈迦の教えを引き継ぐ無数の菩薩が大地の下から湧いてくることを説いた「従地湧出品」なるものがあります。この大地とは、まさに我々の生きている娑婆世界の大地を意味しているとの事ですが、万物全てが「ほとけ」とする日本中世の本覚思想からすれば、花茗荷はまさに菩薩であると、考える人もいるに違いない。といったイメージからの句です。
法華経の絶対肯定の世界が大好きです。だから詠まれた句も好き。
”花茗荷地湧菩薩の生れしごと”
ーまさに言い得て妙です。生まれし、は「あれし」と読めばいいのでしょうか。
花茗荷誰の指図か一斉に咲く
ーあまり句にはなっていないかと思いますが、その観察眼には納得。自然界の不思議さには、ただ感じ入るのみ。
絵空事の句は、解説をお願いします。
地湧菩薩のことを初めて知りました。この花を見て菩薩を連想されるとは九分九厘さんの心が豊かなのですね。仰せのとおり、一斉に地中から湧き出すように咲く可憐な花は菩薩のように優しいのでしょう。一方、茗荷はたくましい植物で、根を伸ばしてどんどん増えます。
新蕎麦や信濃の景の晴れしこと
丁度この季節は新そばが出始めるころで、信州の各地で新蕎麦祭をやっていることと思います。晴れ渡った信州の山々を眺めながら新蕎麦をすするのは何とも言えません。小生今年は信州行きをあきらめました。
花茗荷の句を選句していただき、ありがとう御座います。「生まれし」は「あれし」と読む事と師匠から教わっております。『法華経』愛好者のコメントに感謝いたします。絵空事の件・・・長年、絵を描き続けて来たが、所詮いい加減な騙し絵みたいなものであったのかもしれない。初紅葉を見ると、まさに真実の姿が目の前に存在することに、はっと気がつくのである。日頃、創作活動と自認している己の絵に、この年になって、尚、恥じ入るばかりである。<これでも、滑り込みの入選句です。>
コメントをありがとう御座いました。大きな写真をつけて、茗荷の花がたくさん咲いているのを皆さんにご紹介したいと思いました。写真があって初めて意味が分かる句なのでしょうね。写真と俳句をセットにして詠むと意外に楽になる事があります。
大昔の事ですが、信州に招かれて、新蕎麦を粉にしたものを、すり鉢で練ったものをそのまま手で掬って食べた事があります。昔の人の食べ方で、蕎麦を賞味するのに一番の方法だと言われました。しかし、あまり口に合わなかった事を記憶しております。