今月5日の夕方いつものメンバーで、171年ぶりの後の十三夜を鑑賞すべくそして観月句会を持つべく京都御苑に集まった。
吟行の間は雲に隠れていたが、食事会が始まってしばらくすると、階下より月が出たと連絡が届いた。一同御池通りに出て、待望の後の十三夜に御対面。観月出来たことと美味なる京料理と酒で京の夜の句会はいつも以上に盛り上がった。写真は御池通りの十三夜。
絹の雲透かして青き十三夜
十三夜御苑の闇をつかさどる
黒錆のあかずの門や後の月
冬来る比叡の山に両手あげ
街中の昂り解くや苑紅葉
秋寂や御苑の人目かれる刻
訪へる人目も絶へし破れ蓮
秋蝶の追い風受けて御所の塀
山茶花や公家邸跡の碑にこぼる
吟行の間は雲に隠れていたが、食事会が始まってしばらくすると、階下より月が出たと連絡が届いた。一同御池通りに出て、待望の後の十三夜に御対面。観月出来たことと美味なる京料理と酒で京の夜の句会はいつも以上に盛り上がった。写真は御池通りの十三夜。
絹の雲透かして青き十三夜
十三夜御苑の闇をつかさどる
黒錆のあかずの門や後の月
冬来る比叡の山に両手あげ
街中の昂り解くや苑紅葉
秋寂や御苑の人目かれる刻
訪へる人目も絶へし破れ蓮
秋蝶の追い風受けて御所の塀
山茶花や公家邸跡の碑にこぼる
先日の御所の、「後の月観月句会」では大変有難うございました。美しい御所の佇まいと後の十三夜の観月、その後の句会での美味しい料理とお酒、楽しい句会と皆さまとの会話など、大変楽しいひと時でありました。「こんなんで良いんかいな?」とも思うほど、幸せなひと時でした。
さて御句へのコメントの前に、先ず大変素晴らしいお写真を拝見致し驚いております。鬱蒼とした闇の天空の雲間から、ひっそりと顔を出す「後の十三夜」のお写真はレコードのジャケットにも最適なようです。
実は小生の大変好きな映画音楽に、チャップリンの映画「ライム・ライト」から「テリーのテーマ」と云うの曲があります。そのレコードジャケットにも雲間の月が使用されていますが、その写真より数倍も素敵です。
さて「後の十三夜」について少し述べさせて頂きます。四季の中でも春の桜、秋の月の美しさは人の人生において、恋心、愛、思いやり、寂しさ、喜び、哀しみ、苦難、別離、嫉妬、苦しみ、怒り、楽しさ、等々人が生きていればいつも感じる感情のすべてを内蔵していると思います。美しいものには言葉は要らず、ただ黙って心で感ずるのみが良いものと思う小生です。少しでもその事について言葉を発するとき、その美しさは何処かへ儚く消え去ってしまいそうです。
「ながらへば月に群雲花に風夜半に嵐の吹かぬものかは」との古歌にもありますよう、美しい自然の中にも栄枯衰盛があり、人生に措いても良い時悪い時ばかりではなく、人はその「哀しみ」を識っているからです。
「後の十三夜」は古の日本では、秋の月見は名月のみでは片月と言って、後の月も必ず愛でるものとしたようですが、更にもう一度秋に月見が出来る後の十三夜であれば次回は不可能であり、その事が尚更思いを深くするようです。
前置きが長くなり過ぎましたが、佳句ばかりの御句から敢えて以下の句を選ばせて頂きました。
☆絹の雲透かして青き十三夜
午後からほつほつと時雨が降り、雲が多くなって来ました当日ですが、句会中に報らせを受け御池通りに眺めに行った時の十三夜は青白く輝き見事でした。その時の様子をよく捉えられていると思います。
☆十三夜御苑の闇をつかさどる
観光地と云うより京都御所は宮内庁管轄でもあり、観光的な施設はほとんど無く。夜ともなれば暗闇でしたね!!。その畏きところを十三夜がつかさどるとは、素晴らしい表現ですね。
☆街中の昂ぶり解くや苑紅葉
今出川通り、河原町通り、烏丸通りに囲まれた広大な敷地の御所は、その外騒より隔離されたように厳かで静寂です。散策していますと、時折はらりと桜紅葉が散り、まさに御句のとおり「昂ぶり解く」情景でした。
☆秋寂や御苑の人目かれる刻
御所の観月吟行の当日は「秋の京都御所開放」の最終日でもあり、5時過ぎには人影も見なくなり、又静寂が戻り秋寂の状態でした。「人目かれる刻」とは素晴らし表現ですね!!。
☆山茶花や公家邸跡の碑にこぼる
散策を始めてほどなく、西園寺公の旧邸宅跡地と思いますが、意外にひっそりとした佇まいには驚きました。山茶花の碑のこぼれ咲く様子がわずかに名残をとどめていましたね!!。
尚、小生の未提出句には下記の句もありました。
☆かしこきの宴想うふや十三夜
☆末の代のうから観るべし後の月
☆主の在(ま)さぬ御常御所とや秋の夕
☆玉砂利の道無きみちや御所の秋
☆松籟と月の名残の御苑かな
☆あの辺り雲の明るき後の月
あれ程までに御所が真っ暗な闇に包まれるとは驚きでした。まさにこの句のごとく、御苑は十三夜の月が出るか出ないか、お月様のご機嫌次第でした
黒錆のあかずの門や後の月
後の月が雲に隠れてしまった事実と「あかずの門」の掛け合いが面白いです。しかし、これは吟行に行った人にしかわからない解釈です。基底部と干渉部の論からすると「後の月」は満月の二日前の少し欠けた風情を楽しむことに本意があると歳時記にありますから、門がまだ開かないという基底部に呼応するのでしょうか?
山茶花や公家邸跡の碑にこぼる
時間の流れが感じられる句です。
丁寧なコメント、後の月の解説、また十三夜に対する日本人の思い、さては人生観までご説明頂き只々感謝です。また、その上に5句も選んでいただき有り難うございます。オマケに写真まで褒めていただいて次回お会いする時には如何にせむものかと思います。
本当に絵に描いたような楽しい句会でした。但し、小生の句の出来栄えはいつもの事ながらイマイチで空回りしている感じです。仰せの通り御苑の中は至ってシンプルで日も暮れてくると正直闇しかない状態でした。かつての200軒以上あったという公家の家家の跡も侘しく、維新と共に主は東京へ去った名残は、何軒かの邸跡の碑に見るのみです。それにしても最後に後の十三夜を見ることができたことは最大のヒットでした。俳句なんぞ忘れました。
貴兄の未提出句には勿体無いくらいの佳句ばかりです。
中でも下記の句を頂きます。
かしこきの宴想ふや十三夜
末の代のうから観るべし後の月
玉砂利の道無きみちや御所の秋
いずれの句からも当日の御所の吟行の様子が見えてきます。次の後の十三夜は95年後とか、しっかり詠まれているのもたろうさんらしいと感心しております。
早々に3句を取っていただき有り難うございます。
大きな150万人の街の真ん中に日が落ちると全くの闇になるエリアがあるとは、新鮮な驚きと発見でした。それにしても素晴らしい楽しい句会でした。人生にそう何度もない出会いでした。
2句目の句は実は蛤御門を見て浮かびました。無論今は開いていますが、天明8年の大火で御所が炎上したとき、滅多に開くことのない門が開いたとか。後に人呼んで蛤御門とか。たわいもないことです。
維新までの御所の中の公家の邸が軒を連ねていた光景は壮観だったでしょうね。機会あれば歴史都市京都のバーチャル京都のデジタル地図ーGISを見てみたいと思う。
待ちに待った十三夜の月をしっかりカメラに残してくださったので、あの日の感動がよみがえってきます。
当夜の句会では互選が無かったため、日の目を見ない句が多かったです。この場で披露されて良かったと思います。
十三夜御苑の闇をつかさどる
御苑があのように暗いとは驚きでした。十三夜の月が出ていればもう少し明るかったでしょう。
黒錆のあかずの門や後の月
この日の月が171年目の後の月であることを考えると「あかず」と呼応しているように感じられます。
思えば貴重な句会でした。観月会を通していろいろな体験もできました。2句をお取り頂き有難うございます。
京都の真ん中であの闇は想像できませんでした。
歴史的なことを俳句に詠むことはやはり難しいと感じております。季語の働きを生かさねばならいことが根底に来なければいけないようですね。
遅ればせながらのコメントお許しを。素敵な写真と共に、これだけずらりと秀句・佳吟を並べられると、後につづくのが大変です。特に下記銘句を2句いただきます。
”十三夜御苑の闇をつかさどる”~たしかに、その通り。後の月が出てくるかどうか、闇の中で待ち焦がれていました。その様を、かくも見事な措辞で表現されたのには感服しました。
”山茶花や公家邸後の碑にこぼる”~山茶花の白あるいは紅と今は昔となった近衛邸あとのいささか寂しさもある光景との対比描写に優れていると思います。
大変お忙しい中、お目通し頂き幸甚です。2句を取り上げて頂き有難うございます。
それにしてもゆらぎさんのお陰で、生涯の思い出に残る観月句会が持てました。あらためて厚くお礼申し上げます。
こんな楽しい句会はひょっとしたらもう2度とないかもしれません。
今回の新たな発見は京都のど真ん中があんなに闇に包まれているとは。何と素晴らしいことでしょう。
明治維新で東京に天皇以下お公家さんが移る前の地図をゆらぎさんはご覧になったことはありますか。
バーチャル京都が出来ており、平安時代からの御所の中の地理的な変遷が分かるはずです。小生未だ見ておりませんが、見てみたいと思っております。