草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

令和五年 新年俳句会~選句を終了いたしました!今年もお元気で!

2023-01-07 | Weblog

             

             令和五年新年句会

 新年明けましておめでとうございます。今年も元気で俳句を楽しみましょう。六名の方々に参加していただきました。今回は点数をつけたり特選を選んだりすることは行いません。詠み人各位の名前は付記してありますが、通常句会の詠み人知らずの状況と同じ要領で、「選」を行ってください。コメントの書きかたは各位の自由にお任せいたします。主宰不在のため、本ブログ一回で新年句会は終了し「選」の数による「特選」などの次の作業は行いません。

(掲載の順は本名のカナ順とします。冒頭の富士山の写真は、九分九厘自作の二色刷り銅版画です。成田から大阪への帰途の空撮を起こしたものです。)

 

   初富士の遥かなれども視野に在す    紘子

   元日の清き静寂に包まれむ       紘子 

   仏壇に向かひ一人のお正月       紘子

 

   初景色窓の水滴光満ち         葉有露

   去年今年この齢には重きかな      葉有露

   孫の来てお年玉すら値上がりし     葉有露

 

   元朝のひとごとならぬサイレンかな        九分九厘

   初空に弾の飛び交ふこの地球      九分九厘

   年あらた画布下塗りに心意気      九分九厘

 

      石段をのぼる静寂や淑気満つ      たろう

   ふるさとの小豆雑煮も三日かな     たろう

        水鳥の水脈を曳くさへ淑気満つ     たろう

 

   梵鐘の声に震えし修正会        ゆらぎ

   初明り生きて来し身の愛おしく     ゆらぎ

   遙かなる男の賀状花の春        ゆらぎ

 

   初明り真木立つ山ゆ頭垂れ       龍峰

   ししむらの枯れ残沈む初湯かな     龍峰

   大方は獏に喰わせて初寝覚       龍峰

                         以上

 

【選句】ゆらぎ。 

まず以て、今回の新年俳句会を設営頂いた九分九厘さんに厚くお礼申し上げます。

       初富士の遥かなれども視野に在す   紘子
 ~奈良におられたとき、詠み手はいつも生駒の山を見ていたのでしょう。
 そのことを思い出しながら、”今は富士が見えるのだ、”と言っているのでしょうか。いや、あるいは大いなる山、富士の姿に感興を覚えているかもし れない。そんな思いが伝わってきます。

       初景色窓の水滴光満ち        葉有露
 ~部屋の窓についた水滴にすら、新春の光を感じたのだと思われる。瑞々しい思いが伝わってくる、佳句ですね。

       年あらた画布下塗りに心意気     九分九厘
 ~元旦から気合が入っていますね。冒頭の富士山の二色刷りの絵を見れば分かります。九分九厘さんの気合が伝わってきます。それと同時に、八十路半ばにして尚、意気軒昂に生きようとの思いが伝わってくるようです。この句は今回採り上げた句の中では出色の句かと思います。

        ふるさとの小豆雑煮も三日かな    たろう
 ~正月も三日ともなれば、いつもの丸餅を入れたお雑煮ではなく、小豆雑煮 が食べたくなるのでしょう。そこにふるさとのお雑煮、多分海の幸が入って いるのかもしれません。た    ろうさんの故郷大山の地への思いが伝わってきます。

       大方は獏に喰わせて初寝覚      龍峰
  ~獏は夢を食べる妖怪として知られていますが、妙な夢は獏に食わせて、ぐっすり眠ったことでしょう。このような解釈で合っているかどうか
  詠み手に伺ってみないとわかりませんが、いずれにしろ句の発想がユニークで面白い。今回の六名の詠み手の句の中で恐らく、一二を争う句かと思います。

 

【選句】九分九厘

      初富士の遥かなれども視野に在す    紘子

 この句はいろんな解釈が出来る句です。先ずは、日本一の富士山の雄大な存在感が感じられ、そこに安心感と幸福感を読み取ることが出来ます。次に、先行き政治的・経済的にも大きな問題を抱える日本がまだまだ大丈夫という意味が、中七・下五にあるような気もします。最後に、初富士が亡きご主人を暗示されている気がいたします。  

      去年今年この齢には重きかな      葉有露

 まさに私の思いと同じです。世界情勢や私的問題も含め「この歳には重きかな」であります。   

      ふるさとの小豆雑煮も三日かな     たろう

 たろうさんの故郷を思う気持ちが良く伝わってきます。小豆雑には私は食べたことはないのですが、甘かったらぜんざいになってしまいますね。

      初明り生きて来し身の愛おしく     ゆらぎ

 上五・中七・下五、それぞれ美しい日本語です。この句を読んでなにかほっとする気持ちになります。  

      大方は獏に喰わせて初寝覚       龍峰

 中七が効いていますね。天下泰平の感が在りますが、目が覚めたあとの今年は大変になりそうですよ。

       初明り真木立つ山ゆ頭垂れ       龍峰

 この句の中七の「ゆ」なる助詞ですが、動作の起点・経由点を表して、万葉集「田児の浦ゆうち出でて見れば真白に・・・」における「ゆ」と同じと理解します。文句の付けようがないのですが難しい句を詠まれたのですね。

 

【選句】龍峰

 皆様明けましておめでとうございます。本年も元気に、ご健吟なされますよう心よりお祈り申し上げます。九分九厘様には、新年句会の計画、まとめのお骨折りを頂き有難うございます。何べん見ても冒頭の富士山は素晴らしい。格好いいですね。
まだ松の内に、皆様の新年の句を鑑賞できることはわくわくする気分です。秀吟多く、何れを選句しようかと迷うところ大でしたが、敢えて各人1句に絞り、鑑賞させて頂きます。

      初富士の遥かなれども視野に在す    紘子
 まざまざと目に浮かぶ光景です。「在野に在す」がいいですね。作者は関西から関東に移られ、富士山が見える地で、最初はなれない地ではあったでしょうが、今は富士が見えることで幸せをつかんでおられるように感じます。新年早々のヒット作と思います。

      初景色窓の水滴光満ち         葉有露
 初景色と言えば、普通は山野の大きな景を詠んでしまいがちなのに、敢えて、窓際の水滴に目をやったのが、ユニークでいいですね。観察の細やかな句です。「初景色」に「光満ち」が呼応して句全体が、神々しい感じがします。今年は何かいいことがありそうな予感がします。

      年あらた画布下塗りに心意気      九分九厘
 老いも何のその、新年早々血気盛んな心意気が強く伝わってきます。「年あらた」に対し「下塗り」の言葉で受けることには、強い落差が生じていていいですね。第1級の諧謔性を感じます。秀吟ですね。

      ふるさとの小豆雑煮も三日かな     たろう
 「小豆雑煮」と「三日」が呼応してほのぼのとした、のどかな平和な正月を、作者は送られたのだなあーと感じます。ぜんざいではなく、小豆雑煮はふるさとの昔ながらの物でしょうか。
よく思いの伝わる秀吟で、今年一年のご健吟が期待されるところです。

      梵鐘の声に震えし修正会        ゆらぎ
 作者はどちらの寺院へ行かれたのでしょうか。梵鐘の鐘の音を聞きつつ、五穀豊穣、国家安泰をを祈願され、身を引き締められたのでしょう。鑑賞していて、背筋を伸ばして坐りなおしました。「震えし」の一言に作者の思いの全てが詰まっているように感じます。句を作るに多言は無用だと教えられたように思います。この秀吟を、句作りの手本にさせて頂きます。

【選句】かつらたろう

 先ず、草若葉新春初句会へご参集の皆様、明けましておめでとう御座います!!。今年令和5年が、皆様及びご家族の方にとりまして益々健やかで平安な年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。更に九分九厘様には、企画と取り纏めの労を賜り、有難く厚く御礼申し上げます。

      初富士の遥かなれども視野に在す   紘子

 関東の地、東京、埼玉、神奈川の各地域では、晴れた日には何処に居ても富士山を遠望する事が出来ると云いますね?その為、彼方此方に「富士見台」、「富士見町との地名があるようです。作者の紘子様は、日本一のお山初富士を遙拝して大いなる淑気に満たされているようです。中七~下五にかけての「遥かなれども視野に在す」との措辞が、流石の秀吟ですね!!。

      初景色窓の水滴光満ち    葉有露

 元旦の朝が良く晴れて居れば、如何にも希望に満ち溢れた淑気を覚えますね?作者は元旦の朝に目覚め、先ずカーテンを開ければ窓の水滴が燦然ときらめき、その窓を通して一瞬に戸外の希望に溢れた初景色を眺める事が出来たようですね!!。目出度い心情に満たされた作者が、見えるようです。

      年あらた画布下塗りに心意気   九分九厘

 先ず、御句の鑑賞の前に富士山の銅版画は新春初句会に相応しい、目出度い図柄ですね?質感が抜群に表現されて居り、素晴らしいものですね!!。「一年の計は元旦にあり」と云い、早速画布の下塗りを行い「よ~し!今年も描きまくるぞ!」との意気込みですね?「若さとは、年齢ではなく心意気(生き甲斐)を持って日々を過ごす事」との典型のような一句ですね!!。

      梵鐘の声に震えし修正会    ゆらぎ

 修正会(しゅしょうえ)とは、去年一年を省みて今年の仏事事の方針を定め一年の国家安全、民の五穀豊穣、平安を願い祈る様々な仏教寺院で1月に行われれる法要のようですね?又、曹洞宗では開祖道元師による「教え」の「修正義」なる教本があり、田舎の実家の法事で和尚さんと一緒に読んだことがあります。作者のゆらぎ様は何処の寺の「修正会」へ参加されましたのでしょう?梵鐘の「音」ではなく「声」に、背筋の震える程の感動に打ち震えている心情が見えるようです。

      ししむらの枯れ残沈む初湯かな    龍峰

「ししむら」とは「肉の塊」「肉体」を云う古語ですね?老い耄れてしまったと思う我が身体を「枯れ残」との卑下の言葉で飾り、初湯に浸かる実感が溢れていますね?去年の疲れも一気に洗い流しましょう!!。

      大方は獏に喰わせて初寝覚    龍峰

 普段は忙しく過ごすところ、正月はわざわざ「何もしなくても良いように」喰積み(おせち)があり、三が日は身体を休めますね?又、獏は夢を喰うとも云われ寝正月の夢見を獏に喰わせて初音覚めです。俳句の持つ「滑稽と俳味」溢れるユニークな秀吟ですね!!

 

【選句】葉有露

 小河原様には、俳句新年会を設けていただき感謝申し上げます。皆様には,清々しい言葉のお年玉をご用意いただき、華やかな気分になりました。 御馳走がたくさん並んでいますが、小生の好みをお許しください。

      初富士の遥かなれど視野に在す  紘子

 風景としての偉大さに加え、深い心象風景を表す句であると思います。「視野に在す」はその確かな確認であり、安堵ではないでしょうか。小生も、約七年湘南の地、藤沢に住んでいましたが、日々の生活の中の富士の存在は、格別のものがあります。

      初空に弾の飛び交うこの地球  九分九厘

 イエスの世界では、政治と宗教の分離の教えがあります。現実の世界では、この関係は融合型・分離型・同盟型に分かれています。今回のプーチンとロシヤ正教キリル大主教との一体化は、これにはなかったものです。ローマ教皇とカンタベリー大司教の見解・発言を知りたいものです。

      水鳥の水脈を曳くさえ淑気満つ  たろう

 音もなく引かれる一筋の道に心が静まります。

      梵鐘の声に震える修正会     ゆらぎ

 この声の人物の姿は見えぬが、英知と機智に富んだ存在でしょう。

      大方は獏に喰わせて初寝覚    龍峰

 諧謔にとみ、またウイットに満ちた正月の御馳走です。こんど獏に会われたら食した味を聞きたいものです。

 

【選句】紘子

     ふるさとの小豆雑煮も三日かな     たろう

 正月三日のほっこりした気分を頂きました。

     大方は獏に喰わせて初寝覚       龍峰

 貘に食わせても、有り余る夢を思いました。

     梵鐘の声に震えし修正会        ゆらぎ

 何故か奈良の夜の闇を感じました。

     初景色窓の水滴光満ち         葉有露

 先にあるもの、お正月のおめでたい景色を思いました。

                          以上

 

 これをもって、令和五年の新年句会は終了いたします。今年の皆様のご活躍をお祈りいたします。(九分九厘)

   

 

 

 

 

 

コメント (2)
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