傷みが進む本殿の檜皮ぶき屋根
歴史的にも由緒ある切目王子神社本殿(手前は拝殿)
印南町西ノ地、切目王子神社の本殿の屋根部分の腐朽が進み、ふき替えることになった。本殿は県の文化財ではないものの切部王子跡が県の史跡に指定されていることから県指定文化財(史跡)切部王子跡保存修理事業で県の補助金を受けて取り組む。事業費約2300万円。補助金は半額程度となりそうで、残りは地元氏子の浄財で賄う。熊野古道の世界遺産登録で参拝客も増えており、総代長の坂下繁一さん(68)は「傷みがひどく心配していた。工事が完成すれば立派な本殿で参拝者を迎えられる」と喜んでいる。
本殿は江戸時代の貞亨3年(1686年)に再建されたもので、屋根は檜皮ぶき。昭和54年にふき替えたが、十数年前から劣化が進み、杉の皮や鉄板で部分補修するなど対応してきたものの一部軒積に水が回り始めるなど傷みがひどくなり、県文化財センターの指導を受けた上で37年ぶりに全面的にふき替えることにした。
着手に向けて切部王子跡社殿保存修理委員会(西野伊知郎委員長)を設け、年内に入札を行い、来年2月に着工、5月の完成をめざす。屋根のふき替えに合わせて壁板や床など破損部の補修も行う。総事業費約2300万円のうち半額が県の補助金で、残りをふき替えに備えての積立金など氏子の浄財で補う予定で、坂下総代長は「氏子の皆さんの理解と協力のおかげ」と感謝している。
切目王子神社は熊野九十九王子の中でも藤白王子や滝尻王子などとともに格式の高い五体王子の一つ。後鳥羽上皇が1200年(正治2年)に歌会を開き、後鳥羽上皇が詠んだ「あきのいろは たにのこずゑに ととめおきて こずゑむなしき おちのやまもと」など歌会でしたためられた11点の懐紙が今も残り「切目懐紙」として国宝に指定され、京都市の西本願寺に所蔵されている。また、太平記で護良親王(もりよししんのう)が熊野落ちの際に泊まり「熊野に向かわず十津川に行け」と夢のお告げを受けたとされているほか、平治の乱(1159年)における平清盛、重盛が熊野詣での途中、都の反乱を早馬で知らされ、同神社で評議し、神前に勝利を祈願、都に引き返し大勝したとされる。節分の豆まきの源と思われる説話も残されているなど歴史的にも由緒ある神社で、切部王子跡が昭和11年に県史跡に、昭和33年には県文化財に指定されている。
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