KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

ことばの魔力

2016-03-30 22:43:42 | 日記・エッセイ・コラム
 少女を言葉巧みに騙して、2年もの間自宅監禁した男が先日逮捕されたという事件。

「お前は両親に捨てられたんだ」
「お前を探してくれる人なんていない」

こんな言葉を、隣に誰が住んでいるかもわからないようなマンションの1室で、しかも情報を断ち切られた環境で聞かされ続けた少女の思いはいかばかりだろうか?

これは誘拐事件でなくても、たとえば、「いま買わないと損するよ!」「○○さんもうちの製品を買っている」と家の前で凄んで帰ろうともしない訪問販売や、電話での商品勧誘など、言葉巧みに消費者の心理を掴もうとすることに、似ているようではあるが。

そしてTVのニュースでは、国会前でのデモをやっていた。
主張がわからないとは言わないが、あんな言葉(!)を公共の電波に流して、それをいい大人がこぞって褒め称え、何のお咎めもなくいられるとは、さすが言論の自由を保障された国なんだろうと思うわけだが・・・。

人間なんて、繰り返し同じ情報しか聞かされなければ、それを信じるしかなくなるとあきらめ、コロッと従っちゃうもんなんだな。

そんな状況で最近はやりのリテラシーなんて、あってないようなものだ。あちらが過激な発言をしようものなら、こちらも過激にならざるを得ないと、とりわけネット上の書き込みでその傾向が強く、気が滅入ってしまう。

私たちの発する言葉の一つひとつが、時に思わぬ方向に流れを作ってしまうこともある。

「保育園落ちた日本死ね」という、悪口に近いツイートが、同様の立場にある子育て主婦たちの共感を呼び、やはり国会前のデモがニュースでも取り上げられたものだから、最終的に中央政治をも動かすきっかけになった。もちろん裏に待機児童問題を取り上げた熱心(!)な方々がいたからだろうけど。

だからといって、「××死ね」とか「××うざい」という、時と場合によってはイジメ、恐喝とも取れる言葉ばかりが、今後世の中を動かすきっかけになるとしたら、それはそれは空恐ろしい未来になると思わないか?

だから、自分に都合のいいことも悪いことも、好きなことも目を背けたくなるような嫌いなことも、すべて吸収して考え続けなければならない。自分の考え、スタンスを保ち、外からの言葉による魔力に対し、自身を守っていくにはそれしかないように思うのだが。

でも、言葉足らずなぼくにはひじょうに疲れるよ。
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