覚醒剤は、覚醒して頭を冴えさせるというが、苦痛もそうか

2023年09月12日 | 苦痛の価値論
3-6-1. 覚醒剤は、覚醒して頭を冴えさせるというが、苦痛もそうか  
 戦前戦後、作家などにも流行ったヒロポン(覚醒剤)は、覚醒して眠気を吹き飛ばすのみでなく、万能感をいだかせ、冴えた状態になったという。苦痛での覚醒でも、冴えた頭の状態をもたらすことがあるかも知れない。心身の苦痛が感覚を過敏にすることはよくある。生は、その苦痛・損傷に火急の全力の対応をする必要があるから、もてる自身の能力を最大にしようとする。そこでは、その損傷対応のみでなく、生の全般を冴えた状態にすることもありそうである。
 長らく苦痛を味わうことになる病いにおいて、ときに人の異常な能力を見せることがあるといわれる。苦痛を抱く場合、心身は危機的な反応をすることになり、その反応は損傷に対応するだけではなく、生全般について異常に意識を高ぶらせるものともなりそうである。損傷についての意識にとどまらず、意識自体を異常に集中させ高ぶらせ、その異常に、意識は常人には見えないものを見出す。精神的な病いになったひとが突然、すばらしい芸術を創造しだし、病気が治ったら凡人に帰ったといった話をときに耳にする。画家が、狂気の状態で苦しんでいる間、才能を発揮したが、病気が治ったら凡人になって駄作しか描けなくなったというのである。歌人で医者であった斎藤茂吉が、正岡子規あたりを念頭においてだったと思うが、病気がすぐれた詩を可能にしていて、病気が治ったら凡人になるだろうというようなことを書いていた。子規は、長く病いに苦しめられた。結核で10年あまり苦しみ続け34歳で亡くなった。その病いの苦痛が優れた詩作の源になったのであろうか。苦痛による覚醒は、単に眠りから覚ますだけではなく、場合によっては、意識全般を覚醒してその高揚をもたらすことがあるといってよいのかも知れない。 
 鬼のもつ「打ち出の小づち」は、人や物を殴打する道具であろうが、価値あるものを打ち出した。ほかに鬼の宝物として「杖」「しもつ(笞)」を御伽草子の『一寸法師』ではあげているが、いずれも、身体をうって痛みを与えるものである。小槌は、こぶを作って一寸法師の身長をその分大きくしたであろうが、それは、一時的で、すぐもとにと戻る。殴打での破壊自体には、価値創造力はなさそうで、やはり、(小槌による)痛みが価値を創造したのであろう。鬼がひとを殺傷するのであれば、その道具は何といっても刀類である。小槌はもとより、杖も笞も、損傷よりは、苦痛を与えるのを第一にした道具であろう。それを鬼からの宝もの(価値、あるいは価値を生み出すもの)とひとは受け取った。殴打でもって苦痛・ショックを与え、異常時の異常な力を心身にもたらすということだったのであろう。筋肉を強化するには、いまでも基本は苦痛を与え、筋肉痛が残るぐらいの強い負荷・苦痛を加えることであろう。精神的生においても、かわいい子には旅をさせよという。冷たい社会に出て痛め付けられてこそ強い精神は獲得可能になる。痛みでの覚醒作用は、単に意識を回復し注意を喚起するというのみでなく、もっと広く人の心を覚醒させて鼓舞するものになりうるのであろう。それによって眠っていた能力が目覚めることもある。快にまどろむ状態では、心身の活動・能力は鼓舞されない。その反対の極にある苦痛は、意識を覚醒して活動状態にしていくから、その延長上に、心的活動全般を鼓舞していく可能性をもつ。
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