無欲化・反欲化―欲と禁欲の終焉

2010年05月22日 | 節制論
6-1. 無欲化・反欲化―欲と禁欲の終焉
 「したい」(=欲)、「しない」(=「したいとは思わない」)(=無欲)、「したくない」(=反欲)がある。食事でいえば「食べたい」「食べたいとは思わない…が、食べることを厭いもしない」「食べたくない、嘔吐しそうだ」になる。
 その欲が元来生体に有害である場合、喫煙欲や麻薬への嗜好などは、ほどほどの節制・制限ではなく、禁止・禁欲が求められる。生じたのを抑えて禁じるだけでは、また生起してくるから、この欲をその根っこから始末することが必要となる。この、欲自体を無化した状態が、無欲であろう。禁煙は、たばこを吸いたいという欲望をなくする無欲の状態になってはじめて、成功したと見なされる。吸いたいが我慢するという状態においては、喫煙への欲望がなお存在している。無欲になって、はじめて、禁欲(それへの努力)は終結する。
 反欲になれば、一層、その欲望の禁止は、徹底する。欲望をもたない無の状態であるどころか、そのものを嫌悪し避けたい、排除したいと思うなら、禁欲は、完璧となろう。禁煙に成功したひとでは、たばこの煙は、けむたく嫌になる。場合によると、無欲化する途中で、欲を意識的に排除して、その欲から遠ざけるために、この反欲が使われることもある。禁煙の場合、薬で、たばこがおいしくなく、むかつくようにして、反欲を経験させ、欲から離す機会をつくって、しだいに無欲化する方法がとられることがある。
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