浦島と山幸彦のちがい

2020年03月23日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
【1-3.浦島と山幸彦のちがい】浦島説話によると、竜宮から故郷に帰った浦島太郎は、ほんのわずかの間留守にしただけなのに、長大な時間を思わせる故郷の変貌を見出すことになった。そして、その長大な時間に見合うように突如白髪になってしまった、と時間的な異常を語る。この話は、現実にはありえないことであるが、単にナンセンスと放置もできず、なんとなく、これにひかれてしまう。しかも、浦島太郎のような異常な時間体験をする話は、どこの国の昔話にもあるぐらいにポピュラーでもある。「今浦島」の体験、たとえば、長らく会わなかった故郷の級友たちに会ったところ突如老人になって現れて驚いたといった体験は、珍しくない。つまり、一方では昨日の今日と感じているのに、その同じものが、他方で、知らぬ間に大きな変貌を見せていて長大な時間を思わせるといった奇怪な時間体験は、けっこうみんなもっていて、これは、奇妙な、あるいは驚きの体験として忘れがたく心の片隅に残っている。それが、浦島説話などの奇怪な異時間を語ることをもっての異境・異世界の昔話を受け入れやすくしている素地となっているのであろう。 
 だが、同じように竜宮に行って帰った「山幸彦」では、時間の経過の異常さは言われることがない。それは、異時間体験が、主観的なものにとどまり、客観的にいうなら錯覚でしかないと無視しているか、実際に、そういう奇異な体験そのものをもつことがなかったということなのであろう。「浦島と山幸では、竜宮にいた時間がちがい、山幸は、釣り針を見つけたら、すぐ帰ったのでは?!」と言われるかも知れない。が、山幸彦も、同じように、竜宮で妻となる女性に出会い結婚生活をはじめており、帰郷時には浦島が玉手箱を携えていたように、海の干満を自由にできる魔法の玉をもらって帰っている。核をなす事態は両者同じであり、おそらく滞在時間もそんなに違うものではなかったであろう。それでいて、山幸彦では異時間を語らないのである。
 外国に長く滞在していても、いまなら、インターネットで毎日でも連絡をつけあうことができる。何年かぶりに帰郷しても、一週間前スカイプで見た8歳の甥っ子は、8歳の姿で現れる。異時間を感じることはなかろう。異世界に行っている間も故郷との音信を保って、次々と新しくこれを記憶にとどめていくなら、故郷の時間的展開をたどりつづけることになる。帰ったとき、旅立ちの時から一足飛びに帰郷時へと飛躍することはない。
 山幸彦は、海幸彦との兄弟葛藤のなかにあって、かれから、失った釣り針をさがしてこいといわれて探しに出たのであり、見つけてもって帰ることが課題となっていた。釣り針は異世界の竜宮と故郷をつなぎ続けるものとなっていた。なにより、兄弟葛藤の結末はつけられていなかったのであって、帰ってからその決着をつける必要もあった。山幸彦が帰ってみたら、兄の海幸彦は、250年前に死んでいたというのでは、話にならない。もらって帰った魔法の玉は、兄を懲らしめるためのものだったのに、もはや使いようがないことになってしまう。山幸彦は、神武天皇の祖父となるはずであるが、300年もあとになって帰っていたのでは、夢と現をないまぜにしてロマンに酔う日本古代史を大混乱に陥れてしまうことにもなる。時間的差異が浦島のように生じていたのでは、そういう後につづく肝腎の課題がむなしいものとなり、故郷でのつじつま合わせができなくなるから、異時間体験はあったとしても、主観的な錯覚という些事にとどめられる必要があったのであろう。
 長旅をして帰郷したとき、客観的には、山幸彦のように旅先と故郷は空間を異にするだけで、時間は共通で滑らかに流れるとしても、主観的な体験としては、その時間的な前後の空白が長いほど、浦島のような異常な時間体験をすることは、しばしばある。しかも、時間感覚が異常をおぼえることは、些細なことがらではなくて、世界と自己の存在の根本形式がゆらぐ由々しき奇怪な事態である。浦島説話は、その奇怪な異時間体験をもって世界の根本をゆさぶり、人の心を揺さぶるのである。


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