節制・勇気の正義(=法)化

2013年05月11日 | 節制・勇気と正義のちがい・・

5-3. 節制・勇気の正義(=法)化
 不正・悪に厳しい眼を注ぐ正義と、理想・善を憧憬する道徳とは、逆方向を向いているが、(節制や勇気の)道徳は、正しいこととしては広義の正義に含まれる。さらには、狭義の法的な正義のうちにも、これらの道徳の含まれることがある。節制の道徳のうちでの性的な逸脱の一部(強姦とか不倫)や麻薬の使用は、害悪が大きく、社会的に許せる悪ではないので法(正義)にふれる悪・不正のうちにあげる。したがってまた、無法・醜悪の不倫等との対比において、節度ある異性関係は、法的に適正なものとの評価を得ることとなる。
 その不道徳の社会的影響が些事であれば、できるだけ国家はこれには干渉しないで個人の自律の尊厳をふまえて、自由にしておくべきであろう。だが、それが、社会的に大きな悪影響をもたらすとしたら、これは放置しておくことができない。法的正義に反する悪・不正との刻印をうって国家の強制力をもってこれを禁じることが必要となる。
 節制や勇気の徳のうちでは、その実現の困難な高度なものがあるし、実行のやさしいものもあるが、法的な取り締りの対象となるのは、その難易度にはかかわらない。それのもたらす社会的な害悪の大きさが、法(正義)化される時の注目点・肝要事である。その節制を守る事が相当に困難であっても、害悪が大きければ、それは、許容できない悪・不正となる。重い刑罰の脅しをもって無理をしてでも守らせることになる。
 節制などの道徳が正義化する場合、法の取り締り対象になるということであり、もともとの道徳的なあり方とはちがって、心のもの、内面のものではなく、外的な言動をもったものとなる。内的心的にとどまるものは、取り締りようがない。不倫したいという思いではなく、事実をもって、不義密通は処罰される。

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