何を覚醒させるのか

2023年09月19日 | 苦痛の価値論
3-6-1-1. 何を覚醒させるのか  
 毎朝の眠りからの覚醒と、人生を覚醒させるのとでは、まるで異なったものとなる。だが、いずれも、覚醒は、その心身とくに意識の停滞・休止状態からこれを活動状態にと高めるものであろう。
 日々の覚醒の対象である睡眠は、レム睡眠とノンレム睡眠が区別される。身体だけが眠っている状態と、心も眠っている状態の大別であろうか。身体が眠って活動停止状態になるのがレム睡眠で、心も眠って深くこの世界から隔絶状態になっているのがノンレム睡眠だという。身体だけが眠っている状態で心が覚醒に近くなっているときは、意識が存在しうる。金縛りとか幽体離脱は、レム睡眠中に起こるようである。眠っている身体を意識が動かそうとして動かず縛り付けられているように感じるのが金縛りで、身体を放置して、魂のみが自由に動く状態が幽体離脱になり、夜中好きなことが好きなようにできるという白昼夢に似た意識体験になる。夢を見る様態も両睡眠で異なるようである。この両睡眠のいずれから覚醒をさせるのかで、苦痛の与え方は異なることになるであろう。浅い睡眠状態のレム睡眠では、軽く刺激すれば起きることになる。
 通常目覚まし時計を使って覚醒させる場合、意識が無意識になって眠っている状態から、これを意識化し、自己に閉鎖して安らいでいるのをこの現実世界へと引きずり出してくる。睡眠中も、夢を見るなど脳は活動しており覚醒的ということになるが、いわゆる覚醒は、夢などのように意識が自己内で活動状態にあるだけではなく、外的世界へとつながりをもって現実的意識を回復した状態をいうのが普通であろう。身体の方がまだ寝ぼけているなら、こちらに重きを置いて身体を動かさねばならないようにして覚醒させることになろうか。目覚まし時計の音がけたたましいのでこれを停止するためにこの時計のベルを止める現実的な心身の動きからはじめる。そのことで意識はこの世界へと復帰して意識的活動を開始し、覚醒状態にとなっていく。その目覚めた通常の意識のある状態で、さらに一層の覚醒として、特定の事柄に気づかされるようなとき、目が覚めたとか覚醒をいうこともある。
 人生の覚醒も、やはり、ひとの心・魂の覚醒である。苦痛がしばしば意識されねばならないことでは、日々の生理的な覚醒と同様である。恵まれた環境のもとに育って安閑としているものは、半ば眠りこけている状態であり、これを覚醒させることが必要になるときがある。かわいい子には旅をさせよという。修行遍歴をいうような国もあった。若者は、冒険の旅に出て、艱難辛苦を経験することをもっておのれの能力を覚醒・開発した。 
 いずれの眠りにせよ、そこから現実世界へと意識を活動的にし覚醒するには、損傷への緊急信号である苦痛によることが多い。日々の睡眠からの覚醒は勿論、社会生活における精神の覚醒・能力開発も、苦痛(苦悩・苦労)を大なり小なり媒介にする。