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習近平国家主席の米国国賓待遇訪問で、今後の米中関係はどう変化するだろうか

2015年09月23日 06時15分45秒 | 日記
 習近平国家主席が22日から25日まで国賓として訪米し、26日から28日まで国連本部で国連創設70周年関連首脳会議に出席する。

 日本の国内メディアの事前の報道は、かなり低評価の報道が多い。

 中国を仮想敵国として見ている安倍政権の安保法制が可決したところで、米国の習近平国家主席の国賓待遇は、なんとも整合性が取れない現実だ。

 確かに、米国側には、中国からの発信と思われるサイバー攻撃等への非難があり、今回の首脳交渉の重要な検討事項になるだろう。

 それに中国の南沙諸島の埋め立てや滑走路建設など、米国、中国間の覇権がぶつかりあう問題もある。

 そして中国の経済減速問題と首脳会談の内容は満載だ。

 しかし、米中の二大覇権国は互いの存在を尊重し、経済的にも大きな繋がりが出来ており、米国も旅客機や米国製自動車の最大級の輸出先が中国であり、相互の経済的な関係は切れなくなっている。

 習近平国家主席の訪米に合わせるかのように、ラスベガス・ロサンゼルス高速鉄道で合弁会社の設立も発表されている。日本の新幹線の売り込みと競合していた面もあり、この行方も気になるところだ。

 日本が祝日で今日まで主だった動きは見えないが、習近平国家主席の訪米は注意深くウオッチしておきたい内容が多い。 


(中国 人民網より貼り付け)

習近平主席訪米の9つの注目点
2015-09-18

 習近平国家主席が22日から25日まで訪米し、26日から28日まで国連本部で国連創設70周年関連首脳会議に出席する。今回の訪米は二国間の意味においては国家主席就任後初の国賓としての訪米だ。多国間の意味においては、初めて国連の演壇に立つ。したがって今回の訪問には並大抵でない意義があり、中国の崔天凱駐米大使の言葉を借りれば「全行程がハイライト」だ。今回の訪米の注目点を整理する。

■注目点1:国賓として初の訪米

 今回の訪米は習主席にとって就任後2回目の訪米であり、国賓としては初の訪米だ。王毅外交部長(外相)によると、習主席の今回の訪問によって両国首脳は3年続けて相手国を訪問したことになり、双方が中米関係の発展を強く重視していることがはっきりと示された。今回の訪米は信頼を強化して疑念を解消し、協力に焦点を合わせ、人々に向き合い、未来を切り開く旅となり、必ずや中米関係さらには世界の平和と発展の過程において一里塚的意義を持つ重要な訪問となる。

■注目点2:中米首脳会談

 今回の習主席の訪米は国賓待遇であり、オバマ大統領はホワイトハウスで歓迎式典を催し、公式会談を行うほか、晩餐会も催す。今回の中米首脳会談での成果も期待される。王部長によると、習主席の今回の訪米は両国協力を新たな段階へと押し上げる。双方は経済・貿易、エネルギー、人・文化、環境保護、金融、科学技術など多くの分野で重要な共通認識にいたり、計り知れない影響のあるいくつかの協力協定に署名する。双方は世界や地域の様々な紛争問題についても踏み込んで意見交換し、調整と協力を一層強化する。

■注目点3:地域問題で一層の共通認識にいたるか

 地域問題は一貫して中米両国の注視する焦点だ。今回の訪米で南中国海、台湾、イラン核全面合意の実行、朝鮮半島の非核化など地域の紛争問題において中米両国が一層の共通認識にいたることができるかどうかが注目される。

■注目点4:敏感な問題で溝を埋めることができるか

 サイバーセキュリティー、気候、人権などは中米双方にとって敏感な問題だ。中米は以前気候変動問題について「中米気候変動共同声明」を発表した。今回はさらに協力を拡大できるだろうか?王部長は「今回中米は気候変動対策について多国間交渉プロセスを推進し、両大国が尽くすべき責任を担う」と指摘した。サイバーセキュリティーなど敏感な問題で溝を埋めることができるかどうかについて、崔大使は「中米両国はサイバー攻撃の試練にいかに対処するかという問題に共に直面しており、意思疎通と協力を行う理由が一層ある」との考えを示した。

■注目点5:米実業家との交流で何を話すか

 米実業家との交流を習主席は一貫して大変重視している。早くも2012年2月の訪米時、中米実業家座談会に出席し、両国の実業家が協力の多くの潜在力を互恵・ウィンウィンの実際の成果に全面的に転化するよう言葉を寄せた。習主席は今回シアトルで実業家と懇談し、現地企業も見学する。習主席が今回の訪米で初の訪問地に米大企業本社の集まるシアトルを選んだことは、明らかに入念に計画されたものだ。

■注目点6:両国関係の位置づけに新たなブレークスルーはあるか

「新型の大国関係」は依然として中米関係の将来の発展を位置づける指針であり、今回の訪米は両国関係に新たな原動力を与えるとの認識で専門家は一致している。

■注目点7:訪米の成果はAPEC期間を上回るか

 昨年のAPEC期間、双方は排出削減協力、両軍交流の強化、テロに共同して反対、腐敗の合同取締りなど27件の共通認識や成果にいたった。今回の訪米での成果がAPEC期間時の両国会談でのものを上回るかどうかが各方面から期待されている。このうち最大の注目点は中米投資協定交渉で実質的なブレークスルーがあるかどうかだ。

■注目点8:国連首脳会議でどのような発言をするか

 国連創設70周年関連首脳会議は世界の平和と発展という二大テーマをめぐって計画を立てるもので、重大な歴史的意義を持つ。習主席が発言でどのように中国の発展理念を明らかにし、中国の発展の成果を示し、また南南協力や国際協力の面でどのような新たな措置を打ち出すか、全世界が大いに注視している。

■注目点9:国連一般討論演説で中国の政策と主張をいかに説明するか

 今回の国連総会一般討論演説には各国の首脳が出席する。第2次世界大戦終結70周年に当たることから、一般討論演説では歴史問題が重要な議題となる可能性が高い。今年9月に中国は抗日戦争勝利70周年記念軍事パレードを行った。国際社会のメインストリームの声は肯定的だが、いくつかの雑音もあった。「中国は武力を誇示している」「中国は近隣国を威嚇している」「両岸の和解にマイナス」などだ。今回の演説で習主席が正しい歴史観をどう明らかにするか、また平和的発展路線を堅持する中国の主張と外交理念をどう語るか。国際社会全体が待ち望んでいる。(編集NA)

「人民網日本語版」2015年9月18日

(貼り付け終わり)
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(ブルームバーグより貼り付け)

米中、ラスベガス・ロサンゼルス高速鉄道で合弁-習主席訪米控え合意
2015/09/17

 (ブルームバーグ):中国の企業連合と米Xプレスウェスト・エンタープライゼスが、米国のラスベガスとロサンゼルスを結ぶ高速鉄道を建設する合弁会社を設立する。米国で中国の高速鉄道が運行する初のプロジェクトとなる。

 370キロメートルの「サウスウェスト・レール・ネットワーク」は来年9月にも着工する。中国共産党中央財経領導小組の舒国増氏が声明で説明した。 4年に及ぶ交渉がまとまり、当初資本は1億ドル(約120億円)になるという。プロジェクトの想定コストと完成予定日は声明で特定されていない。

 習近平・中国国家主席の訪米を控え調印された今回の合意は、先進国に高速鉄道技術を売り込もうと取り組む中国にとって画期的。 さらに、この分野で競合する日本に対しての重要な勝利を意味する。日中はアジアでの鉄道受注を競い合っているほか、日本側は数年前にロサンゼルス・ラスベガス路線に関心を示していた。 またカリフォルニア州の高速鉄道計画でも、日中両国はいずれも車両供給の契約獲得を目指すと見込まれている。

原題:China, U.S. Reach Agreement on High-Speed Rail Before Xi Visit(抜粋)

(貼り付け終わり)

円安政策や金利緩和の通貨政策だけでは、本当の不況脱出はできない。

2015年09月22日 15時09分51秒 | 日記
 韓国 中央日報が掲載している、日本の為替相場に関して、1985年のプラザ合意と言われる円高政策に合意してから後、急激に進む円高で日本が長い不況の道に落ち込んだ時点から、このコラムは始まります。

 プラザ合意は米国経済の不況を助けるための全く人為的な操作であった。米国はこの結果、ドルの赤字体制が減少したが、日本はその後も永く、20年どころか30年も不況が続く事になった。

 そしてつい数日前、9月16日に米国の格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は、日本の国債格付けを4番目の段階である「AA-」から5番目の段階の「A+」に1段階引き下げると明らかにした。

 アベノミクスの効果が思っているよりも効き目がない。もう一段の金融緩和が必要ではないかとの催促だ。

 韓国 中央日報が、他山の石として、日本の為替問題をテキストに選び、解説している。

 韓国も決して経済状態が良いとはいえない。 日本、米国、中国や欧州と相次いで自国通貨の価値の切り下げや、金利の引き下げなどで、自国経済の浮揚を図っているが、果してこのような通貨政策だけで、経済は本当に良くなるのか、筆者は非常に懐疑的に見ている。

 このコラムその物は平易に解りやすく書いているので、休日の最後のお勉強には向いていると思い掲載いたしました。


(中央日報日本語版より貼り付け)

力で下げたドル…日本を30年苦しめる為替相場の報い
2015年09月22日 .

1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテル。米国、英国、フランス、ドイツ、日本の5カ国の財相が集まった。世界貿易を牛耳る国の経済トップの会合は隠密に行われた。日本の竹下登蔵相は取材陣を振り切るためにゴルフウェア姿で空港に行き太平洋を渡った。会議が始まると米ベーカー財務長官は声を高めた。「円があまりに低評価され米国の貿易赤字が深刻だ。円高を誘導してほしい」。ドルを下げ米国の輸出競争力を回復し貿易赤字を減らしたいという内心を露骨に示したのだ。ベーカーの圧迫に財相らは円切り上げ、ドル切り下げに同意した。彼らは米国の赤字が続けば基軸通貨であるドルの地位が揺らぐことになることを懸念した。外国為替の需給により為替相場が決定される「市場経路」を経ない強制的・人為的決定だった。世界の為替相場史に最も厚い章で記録される「プラザ合意」はこのようになされた。

 2015年9月16日。米国の格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は日本の国債格付けを4番目の段階である「AA-」から5番目の段階の「A+」に1段階引き下げると明らかにした。S&Pは引き下げの理由として、「経済成長を促進しデフレを打開しようとする日本政府の景気浮揚策は2~3年以内に経済状況を逆転させられないだろう」と明らかにした。「アベノミクス」を掲げた日本政府が中央銀行の輪転機を回してお金を印刷しインフレ誘導と景気回復を試みているが、短期間に景気の下落傾向を戻すのは難しいとみたのだ。

30年前のプラザホテルでの会議と2015年の日本銀行の輪転機の高速稼動。全く異なる時空間で起きた別個の2つの事件は実際には緊密につながっている。プラザ合意という30年前の羽ばたきはいまでも世界経済も隅々に竜巻を起こしているのだ。「場面1」はどのように長い歳月を経て「場面2」にまでつながるのか。世界の貨幣経済史を振り返ってみるとその謎が解ける。「為替相場の威力」と為替相場すら操る国際経済の「力の論理」が謎解消の2つのキーワードだ。

◇米国の双子の赤字解消に日本が犠牲に

再び1985年のプラザホテル。協約当時米国は切迫していた。1981年に45億ドルの黒字だった経常収支は同年1190億ドルの赤字に転換した。このうち429億ドルが対日赤字だった。財政収支・貿易収支がともにマイナスとなる「双子の赤字」を脱却するには景気回復が切実であり、最も容易な方法がドルの切り下げだった。

協約の威力はすごかった。円相場は1ドル=235円から一晩で20円の円高となった。1年後には120円になった。ドルが下がり日本が貿易黒字で稼いだ金で買い入れた米国国債の実質価値も半分になった。米国は日本に対する負債を座ったまま半分に減らし、日本は対米貿易で得た富の半分を1年余りで失った。

米国が世界の貨幣市場に力を行使したのは当時が初めてではなかった。米国の前歴は華麗だった。プラザ合意14年前の1971年8月15日日曜日の夕方。米国のニクソン大統領はテレビドラマ『ボナンザ』を中断させて緊急声明を発表した。「ドルの金兌換を停止し、国内物価を統制して、輸入品に多額の課徴金を賦課する」という内容だった。紙に数字を印刷した物質にすぎないドルという紙幣の価値を金で保障することをやめるという一方的宣言だった。当時財政赤字に苦しんだニクソン政権は金本位制放棄とドル切り下げという簡単な解決法を選択したのだ。これにより30年近く世界経済の流れを支配してきたブレトンウッズ体制は壊れた。

その後米国はドルの価値を金や他の財貨に連係しない「名目貨幣制度」を選択し不況の兆しが見えればいつでもドル供給量と為替相場に手を加えるという方法に依存し始めた。よく考えればプラザ合意も「ニクソンショック」という羽ばたきが作った必然だったことになる。英国の経済学者J.V.ロビンソンはこのような米国の政策に対し、「他国の経済を犠牲し自国の利益だけ追求する近隣窮乏化政策」と話した。

◇効果の限界に直面したアベノミクス

プラザ合意後に円が切り上げられ日本の国内総生産(GDP)成長率は1985年の6.3%から翌年には2.8%に下落した。日本政府は急激な円高で輸出競争力が落ち不況の兆しが見えると、低金利政策を使うほかはなかった。日本銀行は1986年から翌年初めまで1年余りにわたり政策金利を5回にかけて5%から2.5%に引き下げた。金利が下がると流動性が増え始めた。証券市場に集まった資金は日経指数を3年間で3倍に引き上げた。1987年に日本の株式市場時価総額が米国を上回った。不動産市場はさらに深刻に揺れ動いた。地価は1年で70%ずつ跳ね上がった。1990年になると日本の全不動産価値は2000兆円を超えた。米国の全土地の4倍に当たる金額だった。日本経済の隅々に浸透したバブルは膨らむだけ膨らんだ。失われた20年はこのように幕を上げていた。

日本銀行は不動産暴騰を抑えるため金利を急激に上げた。1989年5月に一気に0.75%上げたのをはじめ、1990年8月までの1年余りの間に5回にわたり3.5%金利を上げた。金脈が干上がり結局バブルがはじけた。景気は冷え込み不動産価格と株式市場は急落した。1980年代末から1990年代末までの10年間で株価指数は3万8000円台から6000円台と6分の1に落ち込んだ。1989年に購入した1億円の住宅の価格は2009年には2800万円まで下がった。

日本経済は1991年以降22年にわたり低成長状態に陥った。失われた10年が20年になり、いまや30年に伸びる危機にさらされた。金利をゼロ水準に下げても経済回復効果はなかった。政府負債がGDP比240%に迫る世界最高の負債比率では財政支出拡大にも限界があった。この状況で安倍晋三首相は勝負として量的緩和のカードを切った。「金融を緩和し円を下げること」に頼ることにしたのだ。

2013年4月から2年間に日本銀行は1兆4000億ドルに相当する円を印刷し国債保有を2倍に増やした。米国は金融危機が起きた2008年末から4年余りの間に量的緩和を通じ本源通貨を倍に増やした。ところが日本はその半分の期間である2年で本源通貨を倍に増やしたのだ。日本がはるかに大胆な量的緩和措置を取ったのだ。日本は現在年間80兆円の量的緩和を持続している。

アベノミクス効果で日本経済はしばし回復傾向を見せたが再び停滞している。先月の貿易赤字は5697億円で7カ月来の最高値を記録した。4~6月期の経済成長率は前四半期比マイナス0.3%で3四半期ぶりに下落傾向に転じた。食品とエネルギーを除いた8月の消費者物価も前年同月比0.6%の上昇にとどまった。S&Pが日本の格付けを低くした背景だ。

日本の量的緩和は世界的な通貨戦争も呼び起こしている。財政危機で厳しい状況に置かれた欧州も量的緩和を実施しユーロ引き下げに出た。中国は経済のハードランディングを防ぐため人為的に人民元を低くしている。これに対し韓国は不況型だが経常収支黒字が41カ月にわたり続き、為替市場に介入する名分は弱い。韓国企業の輸出競争力は下がり続け経済が低成長の泥沼から抜け出せずにいる。

 日本国内ではアベノミクスの効果は出尽くしたという指摘とともに追加量的緩和に対する声が出ている。ウォールストリートジャーナルは17日付で「日本銀行は年間80兆円規模の国公債を買い入れているが十分ではないという指摘が多い」と報道した。日本銀行の輪転機は近く稼動速度を高めるかもしれない。30年前の力の論理が作り出したバタフライ効果は今後も続くという話だ。(中央SUNDAY第445号)

(貼り付け終わり)

瑕疵の多い安保法案を成立させた、安倍政権の危険性。

2015年09月21日 07時25分04秒 | 日記
 内田樹氏の痛烈なコメントが出ている。

 多くの憲法学者などから違憲立法であると指摘されながらも、強引な解釈変更で安保法制を成立させた安倍首相。

 その一番の原因は、四月の米議会での演説の中で、安倍首相が「この夏までに、成就させます」と誓言したからであると、内田樹氏は言う。 筆者もその通りだと思う。

 その理由は、日本が米国の政治的属国だからである。

 内田樹氏は、敗戦国の日本が立ち上がる為には、属国であるのは、ある意味仕方がなかったと見ている。

 過去の政治指導者は属国にありながらも、「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略をとる一定の合理性があった。 日本はサンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰し、小笠原と沖縄の返還を勝ち取ったと、内田建氏は評価している。

 しかし、いつしか日本国内の指導層に、ひたすら対米従属する人物だけが評価され、米国に人脈やチャンネルを持つことがキャリア形成の必須条件になった。ある時期から「米国の国益増大に資するとみなされた人」しか、国内の重要な政策決定に与ることができないという仕組みが出来上がったと見ているのだ。

 筆者も、これは官僚だけでなく、政治家、最大手のメディアなど幅広い分野にわたって、はっきりその傾向が読み取れると思う。

 そして安倍首相の持つ野望、「いつでも戦争の出来る国」になる為には、どうしても米国の許諾が必要であり、そのためには国内の法律もなにも無理やり無視しても平気なのだ。

 その道は、かって東南アジアなどで君臨した、小型の独裁者と同じ道を歩んでいると手厳しい。

 内田樹氏の鋭い観察眼で指摘されると、筆者はこのままこの政権を放置しておくと、本当に日本が奈落の底に落ちてしまう危険性を予感させられる。


(内田樹の研究室より貼り付け)

2015.09.19
共同通信で配信されたコメント

 安保法案が成立した。これほど瑕疵の多い法案を私は過去に見たことがない。

 憲法学者も元最高裁判事も元内閣法制局長官もその違憲性を指摘した。歴代内閣が踏襲してきた憲法解釈は「安全保障環境の変化」という一語によって覆された。立法事実は次々と変遷し、どのような危機的事態に対応するための法律なのかはついに明らかにならなかった。廃案を求める多くの国民の声に政府はまったく耳を貸さなかった。そのようにして戦後日本を律してきた安全保障政策の決定的な転換が行われ、日本は「戦争ができる国」になった。

 これほど否定的条件が整いながら、あえて安倍内閣が法案の早期成立にこだわった合理的な理由は一つしかない。それは四月の米議会での演説の中で、首相が「この夏までに、成就させます」と誓言したからである。

 彼は「米国に対してなした誓約の履行義務はあらゆるものに優先する」と信じている。それが国内法に違反しようと、法的安定性を揺るがそうと、国民世論と乖離しようと、「米国との約束」は最優先されねばならないと信じている。

 なぜか。

 それは日本が米国の政治的属国だからである。

 勘違いして欲しくないが私はそれが「悪い」と言っているのではない。

 日本が米国の従属国であるのは否定しようのない歴史的事実である。敗戦国が生き延びるためにはそれ以外の選択肢がなかったのだから仕方がない。戦後70年間、先人たちは「対米従属」を通じての「対米自立」の道を必死で模索してきた。この「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略に一定の合理性があったことを私は喜んで認める。事実、その成果として、日本はサンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰し、小笠原と沖縄の返還をかちとった。
 
 けれども、沖縄返還後、わが指導者たちは「対米従属」の作法にのみ熟達して、それが「対米自立」という国家目的のための迂回に過ぎないことを忘れてしまった。政官財どこでも米国に人脈やチャンネルを持つことがキャリア形成の必須条件になった。ある時期から「米国の国益増大に資するとみなされた人」しか国内の重要な政策決定に与ることができないという仕組みが出来上がった。

 安倍首相には、戦前の全体主義国家の再建という個人的な夢がある。彼の『1984』的な暗鬱なディストピア志向は、靖国参拝や特定秘密保護法やメディア支配や派遣法改定やマイナンバー制度への好尚からあきらかである。そして、何よりも「絶えず戦争をしている国」であることこそ『1984』的社会の基本条件なのである。

 ただ、これほど大がかりな政治的ヴィジョンを実現するためにはどうしても米国の許諾を得なければならない。

 逆説的なことだが、戦勝国が「押しつけた」憲法九条を空洞化し、「戦争ができる国」になるためには戦勝国の許可が要るのだ。そして、そのための必須条件は「米国と交わした約束を履行するためには自国民を裏切ることさえ厭わない人物である」という評価を得ることだった。

 安倍首相はその誓言を誠実に履行した。そして、彼はかつて韓国の李承晩、ベトナムのゴ・ディン・ジエム、インドネシアのスハルト、フィリピンのマルコスを迎えた「開発独裁の殿堂」入りを本日果したのである。

(貼り付け終わり)

安保法案を破棄する為には、参議院選挙で野党が結束するしかない。

2015年09月20日 10時27分55秒 | 日記
 安保法制が可決され、日本の将来に不安と絶望を感じておられる人々も多いかもしれない。

 民主主義国家であると思っていた日本で、自民・公明党の与党に多数の議席を与えてしまった結果がこれである。

 本来の民主主義国家は多数の論理だけで押し進めるのではなく、少数の意見にも耳を貸すと言うのが本来のあり方なのだ。

 まして今回の安保法案には、半数以上の国民の反対意見が噴出した法案であったにもかかわらず、多数の議席を握る自民党が詐術的な論理で、強引に成立してしまった。

 この法案を破棄する為には、次の参議院選挙で、与党を上回る票を野党連合で取るしかない。

 昨日、共産党の中央委員会総会が開かれ、来年夏の参院選や次の衆院選で他党との選挙協力を呼びかける方針を決めたという。

 これは画期的な事だ。今まで共産党は野党連合などに余りのらず、我が道を行くと言う方針であった。

 しかし、安倍政権の安保法制の危険性が余りにも大きく、ここは野党が結集して与党に対抗し、この法案の破棄をしなければならないと決心したのだろう。

 この声明に、野党は打てば響くべきだ。

 天木直人氏がブログで、この考えを述べておられる。掲載しますのでお読みください。


(天木直人のブログおり貼り付け)

画期的な共産党の選挙協力呼びかけに、岡田民主党は英断で応えよ
2015年9月20日 

 共産党が19日、中央委員会総会を開き、来年夏の参院選や次の衆院選で他党との選挙協力を呼びかける方針を決めたという。今日9月20日の各紙が報じている。

 私はこの共産党の決断を高く評価する。

 安保法案阻止が出来なかった絶望感のなかで、即座にこのような決断をし、他党に呼びかけた共産党を私は見直した。

 岡田民主党代表は、この共産党の呼びかけに、党首の権限と責任で「打てば響く」ように即座に応えるべきだ。

 岡田代表は、このままでは死んでも死にきれないと言って民主党の代表になった。
 安保法案が強行採決された直後の記者会見では「これからが勝負」と言った。
 その言葉にウソはないはずだ。
 ならばその証を見せるのだ。

 そして次のように国民の目の前で共産党の呼びかけに「打てば響く」のだ。

 共産党の英断を歓迎すると。
 民主党はその提案に応じ、直ちに協議に入ると。

 打倒安倍自公政権を願うその他の政党・政治家は民主党に参加し、来年夏の参院選挙とその後の衆院選で勝利し、安倍自公政権を打倒し、政権を取り戻そう、安保法案を廃棄しよう、そして何よりもこの日本を安倍首相から取り戻そう、そう呼びかけるのだ。

 できれば民主党を解体し、維新の党や社民党や生活の党と一緒に新党を作り、その新党と共産党で選挙協力を行うのがいいが、それが無理でも、少なくとも共産党以外の反安倍の野党を結集するのだ。

 その岡田代表の方針に不満を持つ民主党議員は少なからずいるだろう。
 彼らは民主党から出て行けばいいだけの話だ。
 結果的に民主党は、より分かりやすい政党に生まれ変わることができる。

 できれば他党と合流する機会に新たな政党名に変えるのが一番好ましい。

 しかし、それが無理でも、生まれ変わり、純化した民主党なら民主党のままでも「新生」民主党だからいいだろう。
 もはや単独で何も出きない社民党や生活の党にとっては、岡田民主党と合流する事に異存はなかろう。
 維新の党はもはや分裂だ。松野らが岡田民主党に合流することは当然だ。

 そのような新生「民主党」ができれば、その他の安倍政権寄りの政党の中からも参加するものが必ずでてくる。
 いや、自民党の中からも参加する者が出てくるかもしれない。

 文字通り自民党と対抗できる、もう一つの国民政党になれる。

 共産党だけは新党に合流するということにはならない。
 しかし、それでいいのだ。

 もはや共産党は共産主義革命を目指す政党ではない。
 掲げる政策は正しく、弱者にやさしい。何よりも反権力である。

 監視役の政党は必要であり、それはまた新生民主党の監視にも役立つ。

 こうして共産党と新生民主党がすべての選挙区、比例区で選挙協力をすれば来年の参院選は間違いなく勝てる。

 いや、早ければ早い方がいい。

 安倍首相を解散・総選挙に追い込んで、来年夏の日本のサミットは新たな首相にホストさせるのだ。
 もちろん東京五輪はあたらしい政治態勢で迎えることになる。

 選挙公約は打倒安倍だ。
 具体的には安倍首相が進めて来た政策の全否定だ。
 護憲はもとより、対米自立、反TPP、脱原発、消費税増税阻止、外交立て直し、などなど。

 しかしそれだけでは不十分だ。
 この国の政治システムを変えることを掲げるのだ。

 それは一言で言えば政治を国民のものにするということだ。

 選挙制度を根本的に見直す。
 政治家を特権階級にさせない。
 政治家の数を減らし、政党交付金の廃止と歳費の大幅削減を掲げる。

 それは政治家になろうとする者にとって一番厳しい事であるけれど、それが出来ないようでは本物の政治家になれない、なる資格はない、と自らに厳しくするのだ。

 そして、もはやいまの日本は政治家にそのような余裕を許さないほど厳しい。
 その苦しさを共有できないような者たちに政治をさせてはいけないのだ。

 もし、このような選挙が出来れば、間違いなく安倍政権は倒せる。
 もしこのような選挙が出来るなら、日本の将来に希望が開ける。

 繰り返して書く。

 共産党の選挙協力の呼びかけは画期的な英断だ。

 野党第一党の岡田代表は、自らの権限と責任で、志位委員長の打ったバチに即座に大きく響くのだ。
 安倍首相の安保法案強行採決は、日本の政治の夜明けを切り開いてくれることになる。

 この私のメッセージが岡田代表に届くことを願うばかりである(了)

(貼り付け終わり)

不条理な安保法案成立に対抗する方法は、次期参院選で、自・公議員に一票を投じないことだ。

2015年09月19日 12時12分28秒 | 日記
 大多数の憲法学者などから違憲だと指摘され、政府の説明も途中で内容が変わるなど、お粗末極まりない国会審議であったが、結果としては安保法案が成立した。

 まあ安倍晋三首相は、安保法案成立で満足しているのであろうが、世の中、不条理はいつまでもはびこり許されると思うのは大間違いだ。

 祖父の岸信介首相の時の安保条約成立時とは、中身も反対勢力の組織も違う。 あの当時は日本国内の労働組合も学生運動も、左翼の社会主義思想が旺盛な時であった。

 どちらかと言えば、米国、ソ連邦の対立のはざまで、日本の政治の在り方を探っている時代でもあった。

 岸信介首相が退陣した後の、池田首相から始まる日本の高度経済成長期に入り、社会主義運動は沈静化していったし、日本国憲法の平和憲法の縛りもあったために、日米平和条約はそれなりに日本人の考え方に、軍事予算よりも経済成長への予算配分を主流とする政策が永く続いていった。

 そして高度成長に限界が訪れ、オイルショック以後に20年以上にわたり長期停滞が続く事になる。

 そのうちに、韓国や中国の経済成長は著しく、特に中国は数年前にとうとうGDP値で日本を追い抜き、日本は米国の次に位置していた2位の座を、中国に明け渡すことになった。

 最近の嫌韓、嫌中思想が日本人のなかで同調するものが増えてきたのは、追い抜かされることへの焦りの表れと言えるだろう。

 そして安倍首相のような対中国軍備対抗の考え方が、今回の安保法制成立の根拠にもなり、米国の財政難による軍事力の一部負担を日本に求めてきていることへの対応でもあろう。

 しかし、憲法を変えずに憲法解釈変更で行なったこの法案の成立は、大きな矛盾を抱えたままであり、安倍自民党政権にいつまでも負の遺産として、政権の崩壊に働き続ける事になると思う。

 一方で、政治に関心がなかった若者や主婦層に、自分たちにのしかかる大きな不安が現実のものとなることで、意識の変化をもたらし、初めて国の在り方や、民主主義の本質とは何か、憲法は国民の為にあるという意識に目覚めるきっかけ作りになり、その面では良い事であったと思う。

 あとは国民としては、次期参議院選挙で自民党や公明党の議員に票を入れないことで、対抗することだろう。