四 剰余価値の生産(3)
マルクスは、労働時間の延長によって生み出される絶対的剰余価値と生産効率の向上によって生み出される相対的剰余価値とを区別したうえ、相対的剰余価値生産のための具体的な方法として、協業、分業、機械制工業の三つを歴史的に俯瞰している。現代は工業社会を超えた情報社会とも規定されるが、その情報社会の基底に機械制工業があることに変わりない。
そのほかの労働の生産力の発展がどれでもそうであるように、機械は、商品を安くするべきもの、労働日のうち労働者が自分自身のための必要とする部分を短縮して、彼が資本家に無償で与える別の部分を延長するべきものである。それは、剰余価値を生産するための手段なのである。
マルクスは発達した機械を動力機、伝導機構、作業機の三つに分けて考察するが、とりわけ作業機の変革に注目している。晩期資本主義を象徴する作業機は電脳(コンピュータ)である。それは単に労働作業を効率化するのみならず、人間の脳を一部代行するまでになっている。
機械は、筋力のない労働者、または身体の発達は未熟だが手足の柔軟性が比較的大きい労働者を充用するための手段となる。それだからこそ、女性・児童労働は機械の資本主義的充用の最初の言葉だったのだ!こうして、労働と労働者とのこのたいした代用物は、たちまち、性の差別も年齢の差別もなしに労働者家族の全員を資本の直截的支配のもとに編入することによって賃金労働者の数をふやすための手段となったのである。
コンピュータ化は筋力のみならず頭脳をも必要としなくなったため、労働力における性差や年齢差がますます問題にならなくなりつつある。資本が「男女平等」を表面上唱えることの裏にはそうした事情が隠されている。とはいえ、賃金水準における性差は歴然と残されているが、そのからくりは労賃に関する箇所で明かされる。
機械は、労働の生産性を高くするための、すなわち商品の生産に必要な労働時間を短縮するための、最も強力な手段だとすれば、機械は、資本の担い手としては、最初はまず機械が直接にとらえた産業で労働日をどんな自然的限界を越えて延長するための最も強力な手段になる。
機械は作業効率の向上により時短につながる可能性を持つ一方で、資本家にとっては機械作業によるいっそうの生産力増強への動機を搔き立てるため、かえって労働時間の延長が生じる。しかし労働時間を「どんな自然的限界を越えて延長する」ことは、さすがに現代では労働法によって制限されている。
しだいに高まる労働者階級の反抗が国家を強制して、労働時間の短縮を強行させ、まず第一に本来の工場にたいして一つの標準労働日を命令させるに至ったときから、すなわち労働日の延長による剰余価値生産の増大の道がきっぱりと断たれたこの瞬間から、資本は、全力をあげて、また十分な意識をもって、機械体系の発達の促進による相対的剰余価値の生産に熱中した。
つまり機械化を促進し、「労働の生産力を高くすることによって、労働者が同じ労働支出で同じ時間により多くを生産することができるようにする」というやり方である。つまり、労働日の延長に対して労働の強化である。
労働日の短縮は、最初はまず労働の濃縮の主体的な条件、すなわち与えられた時間により多くの力を流動させるという労働者の能力をつくりだすのであるが、このような労働日の短縮が法律によって強制されるということになれば、資本の手のなかにある機械は、同じ時間により多くの労働を搾り取るための客体的な、体系的に充用される手段になる。
マルクスはそうした相対的剰余価値を搾取する手段としての機械の利用法として、機械の速度を速めることと、労働者の作業範囲を拡張することの二つを区別するが、コンピュータ化はその両方法を同時に適用することを可能にした。
・・・大工業の諸部面で異常に高められた生産力は、じっさいまた、他のすべての生産部面で内包的にも外延的にも高められた労働力の搾取をともなって、労働者階級のますます大きい部分を不生産的に使用することを可能にし、したがってまたことに昔の家内奴隷を召使とか女中とか従僕とかいうような「僕婢階級」という名でますます大量に再生産することを可能にする。
機械化の進歩は熟練労働者を必要としなくなるため、「不生産的な」未熟練労働者への置き換えが進む。労働力の非正規化はそうした流れの究極地点である。反面で、給仕的な労働に従事する者を増やす。マルクスの時代の英国では貴族・ブルジョワの邸宅で雇用される使用人であったが、現代なら各種サービス産業に従事する接客労働者がそれに当たる。