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アウシュヴィッツ解放75周年に寄せて

2020-01-27 | 時評

ソ連軍がナチスのアウシュヴィッツ絶滅収容所を解放した1月27日は、2005年の国連総会決議以来、「国際ホロコースト記念日」に指定されている。本年は75周年の節目ということで、記念式典も盛大に行われたようである。

75周年と言えば三度の四半世紀が経過したことになり、解放当時20歳だった捕囚も95歳、生きて救出された人たちの多くがすでに物故している。アウシュヴィッツの記憶は希薄になり、その名は知っているが内容は知らない、その名さえも知らないという世代が欧州でも出てきている由。

そうした記憶の風化が定着していくと、アウシュヴィッツの再発という事態も空想ではなくなってくるだろう。欧米ではすでに新たな反ユダヤ主義の波が起きており、ユダヤ教会襲撃事件なども発生している。

憂慮すべき事態ではあるが、反ユダヤ主義をより包括的にみると、反セム主義(antisemitism)の一環ということになる。セムとは、ユダヤの言語であるヘブライ語のほか、アラビア語も含む言語学上の分類であるセム語族を指すが、単に反セム主義といったときは、反ユダヤ主義と同義で用いられることが多い。

しかし、近年の欧米社会の状況を見ると、中東・アフリカ等からのイスラーム教徒(ムスリム)移民の増大により、ムスリム人口が増加していく中、反イスラーム主義の風潮が強まっている。そうした風潮を反映して、欧州各国からアメリカのトランプ政権に至るまで、「反移民」を旗印にする政党・政権が伸張しているが、これら「反移民」の正体はほぼイコール反イスラーム主義である。

「欧米がイスラーム化される」といった不安扇動的な言説が流布され、ムスリム排斥の風潮も強まる中、欧州で最も懸念されるのは、反ユダヤ主義以上に反イスラーム主義の暴風かもしれない。アウシュヴィッツの手法は、ムスリムにも応用できるからである。

アウシュヴィッツの風化がさらに進めば、ムスリム絶滅政策を実行する狂信的な反移民政権が欧州に現前しないという保証はもはやできないだろう。その際、戦後のイスラエル建国問題を契機とするユダヤ人とムスリムの解決困難な対立から、かつてのホロコースト犠牲者であるユダヤ人もムスリム絶滅政策に反対しないという事態も想定される。

現在のところ、そうしたことは杞憂のように思えるかもしれないが、今後さらに四半世紀進んだアウシュヴィッツ100周年、さらにその先という長いスパンで見据えたときには、杞憂と言えなくなるだろう。

成長過程で知らず知らずして体得されていく各種の差別意識というものは、成長後にそれを除去しようとしても手遅れであり、幼少期からの反差別教育が不可欠であるが、現時点で、そうした反差別教育を体系的に取り入れ、成果を上げている国を寡聞にして知らない。

国際ホロコースト記念日のような象徴的なやり方も決して無用ではないが、それだけでは新たな「ムスリム・ホロコースト」を抑止することはできない。知識の教科学習だけでなく、否、それ以上に反差別教育の徹底を国際的な課題とすることが急務である。


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