ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

貨幣経済史黒書(連載第34回)

2020-01-26 | 〆貨幣経済史黒書

File33:インターネット・バブル経済

 バブル経済は、17世紀オランダでのチューリップ・バブルを嚆矢として、近代貨幣経済、ひいては資本主義の歴史において付きものとなっている。
 チューリップ・バブルでは、当時の欧州でまだ珍奇だったチューリップの球根がフェティッシュな形でバブルの対象物となったのだが、バブルの発生要因は、貨幣経済の高度化に伴い、次第に通貨・金融政策と連関するようになっていく。
 その点、新たな時代を画した20世紀末の世界では、当時は珍奇だったインターネットという無形資産が再びフェティッシュな形でバブルの対象となると同時に、金融政策もこれに絡む形で、バブルを作り出したのだった。
 1990年代前半にインターネットの商用化が開始されると、多くの既存資本企業がインターネット投資に走っただけでなく、インターネットを活用した新規企業が主にアメリカで続々と設立された。こうした新規企業は少額の資本金と人員で簡単に設立できることから、その場限りの思惑起業が容易であることが問題であった。
 インターネット新規企業の多くは企業としての永続性を前提としたゴーイングコンサーンを考慮しないベンチャーであり、ほとんどがアマチュアを含む情報技術畑出身で、他企業での経営実務経験もない若年の創業者たちは「起業家」ではあっても、「企業家」とは呼び難かった。
 投資家の多くも、これら新規企業が提供するサービスや商品の正確な仕組みをほとんど理解できなかったという点では、複雑な金融数学を用いたデリバティブ金融商品に類似するところがあったが、複雑で理解できないものほど好奇的な興味を惹かれるのも、投資家心理である。
 バブルの兆候は、まず新興企業向け株式市場であるNASDAQに現れた。NASDAQ総合指数がIT産業株の成長により90年代後半期に右肩上がりで上昇を続け、20世紀最終年度の2000年までにおよそ五倍に急伸したのである。こうした動向は、アメリカの連邦準備制度理事会の低金利政策にも後押しされていた。
 他方、まだ平成バブル崩壊後の長期不況の渦中にあった日本でも、インターネットは不況脱出の救世主のように思われ、政府によるベンチャー企業育成支援策に後押しされて、新規IT企業の設立ブームと小さなバブル現象が起きたが、やはりその場限りの思惑起業ブームであり、アメリカに先立ち、2000年度中にはバブルがはじけている。
 インターネット・バブル本国のアメリカでもバブルの崩壊は、意外に早かった。世紀が変わると、アメリカ連邦準備制度理事会の利上げ決定が打撃となり、IT株価は崩落、思惑企業の多くがあっけなく破産や買収に追い込まれたが、創業者たちは株式公開による創業利益をすでに手にしており、企業を手放しても十分に資産形成できたが、従業員たちは失業に追い込まれることになった。
 とはいえ、バブル崩壊後も生き残ったつわもの企業もあり、それらは現在に至るまで、それぞれの分野で、知的財産権に守られながら、多国籍独占企業体に成長し、知識資本という新たな資本の形態を形成している。
 自由競争の結果としての無競争・独占の形成という市場経済のパラドクスを最も如実に示しているのが、こうした情報通信知識資本の領域であると言える。


コメント    この記事についてブログを書く
« 共産法の体系(連載第7回) | トップ | アウシュヴィッツ解放75周... »

コメントを投稿