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近代革命の社会力学(連載第242回)

2021-05-31 | 〆近代革命の社会力学

三十五 第二次ボリビア社会主義革命

(4)革命前期:1952年‐56年
 1952年の革命は、前年の合法的な大統領選挙で勝利していたMNRが前政権と軍部によって不法に奪取された選挙結果を武装革命によって回復しただけのことであり、本来予定されていた政権が一年遅れで開始されたにすぎない。
 そのため、この先1964年までの12年に及んだMNR政権は同党共同創設者のパス・エステンソロとシレス・スアソが四年ごとの選挙で交互に大統領を務める形となり、外見上は通常の選挙政治の形態となったが、実質から見れば社会主義革命であた。
 そうした「長い革命」となったボリビア第二次社会主義革命はパス・エステンソロ政権一期目の1952年から56年までの前期と、シレス・スアソ政権の1952年から60年までの中期、そして、再びパス・エステンソロに戻る同政権第二期の1960年から64年までの後期の三期に区分できる。
 このうち、前期の1952年‐56年が革命の最盛期であり、最も急進化した時期でもある。ただ、MNRはマルクス‐レーニン主義の党ではなく、モデルとされたのは20世紀初頭のメキシコ革命以来、メキシコの政権党となった制度的革命党であり、MNRの政策の基軸となったのは、鉱業の国有化と農地再配分であった。
 鉱業に関しては、従来ボリビアの政治経済を支配してきた三大錫財閥の解体と主要鉱山の国有化及び労働者自主管理方式を導入した公営鉱山運営企業として鉱業公社の設立が導かれた。これによって、公社は当時ボリビア鉱業の三分の二を支配する独占企業体となった。
 農地再配分に関しては、メキシコから顧問を招聘して農業改革委員会を設置し、地主所有農地の分割と農民への再配分を実施したが、これは不徹底に終わり、最終的には地主への農地再集中を招くこととなった。
 とはいえ、新たに農民問題省が設置され、ほとんどが先住民である農民の権利が向上したほか、農民は独自の武力を保有することさえも認められた。
 一方、政治行政面ではメキシコ革命よりも踏み込んだ革命的な統治構造が形成された。すなわち、労働組合による統治である。労働組合員は52年革命で武装民兵としても決定的な役割を果たしたことから、労組はMNR政権において最も主要な権力基盤の地位を獲得した。
 ことに革命直後に産別労組を統合して設立されたボリビア労働者中央本部(COB)はそれ自体が準権力機関の性格を持ち、中央官庁を支配したほか、COBの中核を成す鉱山労働者には軍に対抗する独自の武力の保有が認められた。
 その点に関連して、52年革命では正規軍の縮小が実行され、如上の労働者・農民の民兵団に置き換えられたことも急進的な点であった。これは、同様に選挙結果が不法に転覆されたことに起因した1948年の中米コスタリカ革命でも常備軍廃止が実行されたことに影響されたものかもしれない。
 しかし、ボリビアでは軍の完全な廃止はなされず、縮小化とMNRによる軍の政治的統制が実現されるにとどまった。むしろ、軍は56年以降、再建され、民兵団に代わって復活するに至り、ついにはMNR政権を転覆するクーデターに乗り出すことにもなった点で、コスタリカとは異なる経緯を辿る。


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