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貨幣経済史黒書(連載第33回)

2019-12-29 | 〆貨幣経済史黒書

File32:アジア通貨危機&ロシア金融危機

 20世紀最後の1990年代は、社会主義超大国ソ連の解体に伴う新生ロシアの「ショック療法」による経済破綻、それまで世界第二位の資本主義経済大国日本のバブル経済崩壊に起因する「失われた10年」と、二つの主要国が大きく揺らぐ一方、アジアの新興諸国にとっては、資本主義的高度成長の時代であった。
 とはいえ、これら後発の新興諸国は歴史的時間をかけて醸成された資本市場という土台を欠いたまま、欧米や日本など先発諸国からの外資導入と輸出に依存した他力本願の成長であり、本質的に蜃気楼的な「成長」であった。一方で、これら新興国通貨に対する過大評価が横行した。言わば、実体経済の力量を越えた通貨価値バブルの状態である。
 これに目を付けた欧米の投機的なヘッジファンドが空売りを仕掛け、短期的な利益を狙った。当時、新興諸国が採用していたドルとの固定相場制はヘッジファンドには有利な制度であったが、仕掛けられた側には買い支えの余力なく、変動相場制の緊急導入でしのいだため、自国通貨が急落することになる。
 こうした典型的な経緯をたどったのが当時伸び盛りのタイであり、実際、タイ通貨バーツが1997年7月から暴落したことを契機に、影響が周辺諸国や香港、韓国にまで及び、広域での通貨危機事象に発展した。アジア通貨危機と呼ばれる現象である。震源地タイのほか、波及国の中では韓国への影響が大きく、デフォルト危機に陥り、IMFの救済を要請する事態となった。
 また、インドネシアでも、為替介入を契機に自国通貨ルピアの下落が起き、金融危機とインフレ―ションに見舞われ、IMFの救済を仰いだが、ここではこれを機に当時のスハルト長期独裁体制への反発が高まり、民衆革命による体制崩壊にまで進んだことが特徴である。
 興味深いことに、中国は当時、社会主義市場経済の名のもとに共産党の指導による資本主義の導入という曲芸の最中であったが、外資導入、内資移動ともに政府の統制管理下に置く社会主義計画経済の名残を残していたことが幸いし、直接的な影響を受けず、人民元の切り下げといった緊急措置も見送られた。一方、中国への返還間近にあった香港は、英国統治下で独自の金融的発展を遂げていたため、打撃を免れず、明暗が分かれた。
 アジア通貨危機はさらに、「ショック療法」中のロシアにも間接的に波及した。アジア通貨危機が発生した97年はロシアの「ショック療法」の仕上げ時期にあったところへ、アジア通貨危機の影響を受け、新興国への不安が広がり、同じ新興国とみなされていたロシア投資の引き上げが相次いだ。
 ロシア通貨ルーブルの下落はすでに始まっていたが、同時に深刻な財政危機にあったロシア政府が1998年8月に国債の90日間デフォルトを宣言するに至り、ロシア通貨ルーブルは暴落した。ロシアの商業銀行各国にはルーブルを米ドルに両替しようとする預金者が殺到し、一種の取り付け騒ぎとなり、経営破綻した。
 ちなみに、この時、アメリカの新興ヘッジファンド会社ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)も破綻している。この会社は高度な金融工学を利用して、リスクの高いレバリッジ取引で高額な投資利益を上げることを目的に、マイロン・ショールズとロバート・マートンという二人のノーベル経済学賞受賞者も協力して、94年に業務を開始した鳴り物入りの投資会社であった。
 ショールズとマートンは、共同開発者フィッシャー・ブラックの名も取ってブラック–ショールズ方程式と呼ばれる金融工学分野での業績を理由に、皮肉にも、アジア通貨危機が発生した1997年度ノーベル経済学賞共同受賞者となった人物である。
 LTCMはハイリスクなロシア国債にも投資しており、得意の金融工学計算に基づきその債務不履行確率を100万年に3回などと算出していたが、政府のデフォルト宣言の政治的性格を看過し、当てが外れた。また投資行動に関する行動経済学的知見にも欠けていたとみえ、アジア通貨危機に由来する投資家のロシア逃避という事態も予見できなかった。
 LTCM社は設立から数年とはいえ、ロシア金融危機時点ですでに1000億USドルを運用するまでに急成長しており、その経営破綻は金融市場に悪影響を与え、恐慌を誘発する恐れも危惧されたため、スタートアップ企業にしては異例なことに、アメリカ政府の仲介で多国籍の救済融資シンジゲートが立ち上げられた。しかし、再建には至らず、最終的に2000年に清算され、ロングタームの社名とは裏腹にわずか6年のショートタームで終焉したのだった。
 こうして、アジアに発してロシアをも巻き込み、さらにブラジルなど中南米にも一部波及した20世紀最後の通貨危機は、世紀末以降の金融市場のグローバルな拡大と、そこに絡む誰も正確な構造を理解できないと言われるブラックボックスと化した金融工学商品という組み合わせは、貨幣経済の新段階を象徴するとともに、10年後の世界大不況の予兆現象でもあることには、まだ気づかれていなかった。


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