ザ・コミュニスト

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近代革命の社会力学(連載第458回)

2022-07-14 | 〆近代革命の社会力学

六十六 アラブ連続民衆革命:アラブの春

(3)チュニジア革命

〈3‐1〉ポスト・ブルギバ改革の限界
 「アラブの春」の端緒となり、結果的にも唯一の成功例と目されるチュニジアは、革命を遡ること23年前の1987年にも大きな政変を経験している。この年、1956年の独立以来、チュニジアを率いてきたブルギバ大統領が無血クーデターで失権したのであった。
 クーデターを主導したのは、ブルギバ自身が首相に起用したベン・アリであった。ベン・アリは独立運動闘士を経て独立後の職業軍人となり、軍の要職を経て政界に転じ、ブルギバの評価を得て事実上の後継者に上り詰めた人物である。
 すでに80歳を越え、医学的に大統領職の継続は困難とされたブルギバは、後継予定者に裏切られる形で引退に追い込まれることとなった。代わって新大統領に就任したベン・アリは87年11月7日に声明を発し、一連の改革を打ち出した。
 この「11月7日宣言」に基づき、ベン・アリ政権は市民的自由の拡大や政治犯の釈放などの自由化を推進するとともに、88年にはブルギバ時代の一党支配政党であった立憲社会党を立憲民主連合と改称し、社会主義色を払拭した。
 このようにベン・アリ政権は30年以上に及んだブルギバ体制の刷新を図る姿勢を示したとはいえ、その改革は一定限度内での自由化にとどまり、形式的な選挙を通じた一党支配制に根本的なメスを入れるものではなかった。
 そのため、政権党・立憲民主連合は旧立憲社会党のように全議席を独占することはなくなったとはいえ、常に絶対多数を掌握し、大統領選挙ではベン・アリが圧勝・多選を重ねることが定着し、ベン・アリ政権は表紙を変えただけのブルギバ体制の継続とも言えた。
 とはいえ、中・東欧の連続革命、ソ連邦解体革命に先立つタイミングで一定の体制内改革を打ち出したことは、90年代を通じてベン・アリ政権が安定的に継続していくことを保証したが、政権の長期化に伴い、当初の自由化改革も後退していった。
 一方、経済面ではベン・アリ政権の民営化政策により民間セクターの発展が刺激されたことで資本主義的経済成長が促され、チュニジアではアラブ世界では相対的に豊かな生活水準が保障されていたが、若年層の高失業率や蔓延する汚職への不満は鬱積していた。


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