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「女」の世界歴史(連載第8回)

2016-02-08 | 〆「女」の世界歴史

第一章 古代国家と女性

(2)古代ギリシャ・ローマの女権

③ローマ帝国の女性実力者たち
 古代ギリシャの後継者となる古代ローマにおける女性の地位は、ギリシャとは異なり、いささか微妙なものであった。ここでも、女性は公式には政治から締め出されていたが、上流階級の女性たちは様々なチャンネルを通じて非公式に政治的影響力を行使することがあった。
 そうした傾向はローマが帝国化し、その政治が世俗化・複雑化するにつれ、次第に高まる。そのきっかけを作ったのは、初代皇帝アウグストゥスであった。彼の妻リウィア皇后はアウグストゥスの生前から助言者として政治にも関与していたが、皇帝の死後、連れ子のティベリウスを2代皇帝として擁立したうえ、ティベリウス時代の初期には皇帝生母として強大な力を持った。
 リウィアは86歳の長寿を全うし、死後に神格化されたが、彼女の真似をして悲劇的な死を遂げたのが暴君ネロの生母小アグリッピナであった。彼女も夫である4代皇帝クラウディウスの生前から政治的な影響力を行使したが、やはり連れ子のネロを皇帝に擁立し、その初期の治世では後見人として強い発言力を持った。
 暴君ネロの初期治世が意外なほどの善政であった背後には小アグリッピナの手腕があったとも評されるが、それゆえにかえって自立し始めたネロの反感を買い、ついには息子ネロの謀略にかかって暗殺されてしまうのである。
 統一ローマ時代後期で、歴史に残る女性実力者の存在が目立つのは、紀元193年から235年にかけてのセウェルス朝時代である。帝国史上初めてアフリカ属州‐東方系の王朝となったセウェルス朝は初代セプティミウス・セウェルス帝の妃ユリア・ドムナをはじめ、政治的な実力を持つ女性を多く輩出している。
 このように、皇后等として事実上の権力を行使する女性は存在したものの、ローマ帝国では統一時代及び東西分裂後の両ローマ帝国の時代を通じ、女帝を輩出することはなかった。ローマ帝国には後のゲルマン諸王朝が女子の王位継承権を否定するために援用したサリカ法典のような法制はなかったにもかかわらず、女帝は慣習上タブーとされていたと見られる。
 実のところ、ローマ帝国には「皇后」に相当する正式の称号も存在せず、先のリウィアを初代とする「アウグスタ」が一応それに該当したものの、この称号とて皇帝の正妻すべてに授与されたものではなかった。しかも、帝政自体がまだ共和制時代の名残をとどめるプリンキパトゥス(元首政)から皇帝の権力が強化されたドミナートゥス(専制君主制)へと変化するにつれ、「皇后」の発言力も低下していったようである。

④女装皇帝の悲劇
 古代ローマには古代ギリシャのように、哲学的にも把握された少年愛の明確な慣習はなかったようであるが、事実上の少年愛は存在した。皇帝の中にも、少年(青年)を愛人とする者が見られ、こうした貴人の「男色」は容認されていたようである。
 しかしセウェルス朝3代皇帝ヘリオガバルスのように、皇帝自身が女装して男色に耽るとなると、大問題であった。彼は元来セウェルス朝外戚でシリアの神官王一族出身のシリア人であったが、ネロと並び暴君として有名なカラカラ帝がクーデターで殺害された後、カラカラの伯母でもあった祖母ユリア・マエサが首謀した逆クーデターによって14歳で帝位につけられた簒奪者であった。
 こうした経緯から、政治の実権はユリア・マエサとその娘で皇帝生母ユリア・ソエミアスの手に握られた。ヘリオガバルス時代の悪政として、出身地シリアの太陽神エル・ガバルをローマの最高神として位置づける「宗教改革」を断行したことが挙げられるが、こうした宗教政策の背後にも、ユリア母娘が介在していたことは確実である。
 しかし、このような非正規的な体制は少年皇帝の放縦を結果した。ヘリオガバルスは本来大罪であるウェスタ巫女を犯し、婚姻を強行したほか(短期で離婚)、女色を好む一方で自身が女装して男娼となり、多くの男性と性関係を持ち、男性奴隷の「妻」となるなど身分をわきまえない逸脱行為が見られたとされる。
 キリスト教化される前の性愛に寛大なローマといえども、皇帝の無軌道な行動は目に余ったようである。ついに祖母ユリア・マエサが皇帝廃位を決断し、別の孫アレクサンデル・セウェルスに立て替えようとした。最終的にヘリオガバルスと息子をかばい続けたユリア・ソエミアスは近衛軍団のクーデターによって殺害され、二人の遺体は市中引き回しの末、テヴェレ川に遺棄された。
 去勢も望んでいたとされるヘリオガバルス帝はある種の「女」帝であったと言えるかもしれないが、基本的に男権主義の気風が強いローマでは史上最低の奇行の皇帝として汚名を残すこととなってしまったのである。


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