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共産教育論(連載第6回)

2019-04-22 | 〆共産教育論

Ⅰ 共産教育総論

(5)内発性教育
 (1)でも触れたように、共産主義と教育を結びつけるとき、どうしても洗脳教育のような外部強制的な教育を想起してしまいがちであるが、本来の共産教育とは決してそのようなものではなく、むしろそれとは正反対に、内発性を重視した教育を志向するものである。
 本来的な意味での共産主義社会は、一部の知識人主導の知識階級制ではなく、一人一人がそれぞれの経験を踏まえた知者であり得るような社会であるからして、そこにおける教育も既存の権威的な知識体系を暗記し、習得することではなく、一人一人が経験的かつ独自に思考しつつ、知を共産し、共有することが目指される。
 そのためにも、教育は外部強制的でなく、内発的な知的探求を軸としたものとなるのである。これをここでは「内発性教育」と呼ぶが、もう少し具体的に言い換えれば、「構想力‐独創性教育」ということになるだろう。
 もっとも、こうした教育理念の革新は、資本主義社会においても提唱されることがある。しかし、貨幣交換を軸に成り立つ資本主義社会における教育の目標は、資本家/経営者としてか、労働者としてかは別としても、貨幣を稼ぎ出す能力の習得ということに尽きるから、特段の構想力や独創性を必要とするものではない。
 構想力‐独創性は、貨幣交換をしない社会、それゆえに労働もまた内発的な関心と意欲を動機として実践されるような共産主義社会においてこそ、より本質的に必要とされるであろう。
 そうした教育は、教師が黒板の前で大勢の生徒を前に一方的に教えを垂れる伝統的な講義形式ではなく、生徒が自宅ないし自習スペースで各自のペースに合わせて学べる通信制教育により適合している。そうした観点からも、前回見た脱学校化は共産教育における重要な支柱となる。
 実際の教育メソッドに関しては、改めて後の章で詳しく見ることにするが、伝統的な教育が教師によって与えられた問いの答えに生徒が到達することを目標とする「正解発見型」であるのに対し、内発性教育では生徒自らが独自に問いを立て、教師は生徒がその答えを探求することを適切に助力する「問題探求型」となる。
 結果として、内発性教育は教師と生徒の伝統的な関係性にも革命的な変化をもたらすことになる。それは上下関係で規律された師弟関係から、より近水平的な斜めの関係性になるであろう。そのことは、教師のあり方や養成法にも社会通念を覆す大きな変革をもたらすはずである。


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