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ソ連邦解体20周年

2011-12-26 | 時評

世界を二分した社会主義陣営の盟主・ソ連邦が解体して今日でちょうど20周年。

思えば、10周年の2001年には「資本主義の大勝利」の高揚感がまだ漂っていた。この年、米国ではブッシュ政権、日本では小泉政権というともに新自由主義のイデオロギーを携えた二つの政権が発足している。

一方、その前年、ソ連の鎧兜を脱ぎ捨て、再び資本主義の道を歩み始めたロシアでは、国家の強い指導の下に市場経済を安定軌道に乗せるべく、プーチン政権が発足していた。

それからさらに10年を経て、20周年となった今年、いくつかの興味深い新しい現象が観察された。

一つは、アメリカで「反格差デモ」のうねりが起きたこと。従来、アメリカ人は「格差」を等閑視していたはずだった。「格差」は個人の努力差であり、自由な競争の結果であり、旧ソ連が欠いていた社会の活力の源泉であるはずだった。

それがどうだろう。今や、多くのアメリカ人がそういう政治宣伝のまやかしに目覚め始めたのだ。アメリカでは経験したことのない社会民主主義への憧憬が生じている。それが街頭デモというアメリカ的形を取って噴出したのが今年であった。

一方のロシア。こちらでは、年末の下院選挙で大統領復帰を規定事実とするプーチン首相率いる巨大与党が後退し、代わって落ち目だったソ連時代の独裁政党・共産党が100に迫る議席を回復した。

社会主義と決別して豊かになったと宣伝されてきたロシアであるが、ここでも資本主義的格差と社会保障制度の劣化というおなじみの現象が早くも発現し始め、古い社会主義への郷愁が生じている。

さて、足元の日本である。こちらでは、大阪という商都の地方選挙で、ファッショ的な性格を濃厚に伴った過激な新自由主義勢力が躍進した。小泉新自由主義政権下で生じた社会のひずみ・歪みを正すどころか、当地ではなお新自由主義への固執が続いていることが明らかとなった出来事であった。

こうしてソ連邦解体20周年の記念すべき今年、G8とやらに名を連ねる米・露・日三国で三者三様の政治現象が見られたわけだが、共通しているのは、いずれも資本主義への本質的な懐疑・反省はまだ見られないということである。

新自由主義第二幕を夢見ているかに見える日本はもちろん、社会民主主義への憧憬や社会主義への郷愁が起きている米・露にあっても、「資本主義以外に道なし」というソ連邦解体後のイデオロギー的呪縛―これをソ連邦が解体した1991年にちなんで「91年の呪縛」と呼びたい―が依然解けていない。

しかし、世界が大不況と財政破綻危機を立て続けに経験し、自称先進諸国でも失業・貧困が定在化してきた今、ここで一度、資本主義を根本から問い直すべき好機である。この問いを考えるに当たって、特別に深遠な哲学を必要とするわけではない。さしあたり、次のように問うてみればよい。

一般個人であれ、法人であれ、はたまた国家・自治体であれ、すべての生活主体が頭金としての資本=キャピタルを持たなければ生活が成り立たないというカネに始まりカネに終わる経済システム=キャピタリズムが本当に唯一無二の合理的な制度なのだろうか?

この問いは、世界の主要資本主義諸国にとって、これから21世紀最初の四半世紀が終わる2025年までの大きな宿題である。


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