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近代革命の社会力学(連載補遺10)

2022-09-06 | 〆近代革命の社会力学

六ノ二 メキシコ独立/第一次共和革命

(2)ヌエヴァ・エスパーニャの支配構造
 メキシコを中枢とするスペイン植民地ヌエヴァ・エスパーニャは1519年に始まるアステカ帝国の征服を契機に建設された歴史の古い植民地であり、その最盛期には今日のアメリカ合衆国南部から南米大陸北部、さらにはフィリピン、南太平洋諸島にも及ぶ超大陸的な植民地となった。
 従って、正確にはヌエヴァ・エスパーニャはメキシコと同義ではないが、その中枢部はメキシコにあったため、メキシコはスペインのアメリカ大陸における征服活動全体の拠点としても戦略的な枢要地となり、旧アステカ帝都テノチティトランがメキシコシティに転換され、恒久的な首府となった。
 1529年以降、ヌエヴァ・エスパーニャはスペイン本国から任命された国王代官である副王が統治した。領域が拡大するにつれ、地方行政区分である地域王国や総督領が林立するようになり、今日のメキシコに相当する部分も、メキシコシティを中心とするメキシコ王国その他いくつかの地域王国に分割された。
 副王は本国生まれのスペイン貴族から任命されることが大半であって、次第に増加してきた現地生まれのスペイン人(クリオーリョ)からの任命は極めて稀であった。全般に支配層はスペイン本国生まれのスペイン人(ペニンスラール)が掌握し、クリオーリョは下位に置かれるという白人内部での階級制が生じたことは、後にクリオーリョをして独立革命の主体に押し上げることになった。
 ヌエヴァ・エスパーニャの社会経済的な支配構造には、その長い歴史の中で変遷があるが、植民地建設当初、特に鉱山開発に投入された先住民奴隷制は隷役や疫病による先住民人口の激減から17世紀には行き詰まり、代わって先住民や先住民とスペイン人の混血メスティーソを農民として使役する大土地所有制が普及していく。
 このように最下層に抑圧され、搾取される農民階級が形成されていったことは、やがて白人層の中の被支配階級であるクリオーリョと先住/混血農民の階級横断的な結びつきを生み、革命運動の波動が形成される要因となった。
 18世紀以降、スペイン王室が従来のオーストリア系アブスブルゴ家からフランス系ボルボン家に交代し、スペイン本国及び海外植民地の政治経済支配強化を図る総合改革が実施されると、その効果はヌエヴァ・エスパーニャにも及んだ。
 政治行政面では、新たに本国から派遣されてきた監察官が行財政、警察・司法を掌握し、クリオーリョが公職から疎外される一方で、彼らは自由化された商業界に進出し、新興ブルジョワジーとして経済力をつけたことも、後に彼らが独立戦争の担い手として台頭する経済的な土台となった。


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