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近代革命の社会力学(連載第481回)

2022-08-24 | 〆近代革命の社会力学

六十七 ウクライナ自立化革命

(3)親露政権の抑圧と対露従属化
 2010年大統領選挙の結果、成立したヤヌコーヴィチ政権の性格は、2004年以前のクチマ政権の流れを汲む親露政権であり、その政策や手法は類似しており、振出しに戻る形となった。しかし、ロシア追従や権威主義的な統治手法ではクチマ政権を上回る部分もあった。
 後者に関しては、決選投票でも争ったティモシェンコ首相を議会の不信任決議で追放したばかりでなく、2011年以降、職権乱用や横罪、脱税その他複数の容疑で逮捕・起訴を繰り返し、政敵のティモシェンコ追い落としを開始した。
 ティモシェンコをめぐっては元来、経済犯罪の疑惑があったが、ヤヌコーヴィチ政権による集中的なティモシェンコ疑獄捜査は政権による政治的な動機も疑われ、ティモシェンコ自身も一連の捜査をスターリン時代の大粛清になぞらえて、ハンストで抵抗したが、結局は有罪が確定した。
 また、90年代から存在し、人権侵害で悪名高い内務省特殊部隊(ベルクト)に対してユシュチェンコ政権が課した監督制度を撤廃し、再びこれを活用して反政府派の抑圧に投入した。
 しかし、2014年の民衆革命により直接的につながったのは、対露従属政策であった。親露政権である以上、ロシアとの接近は予想されたところであったが、その対露政策は「親露」を超えて「従露」と呼ぶべきレベルに達した。―ヤヌコーヴィチがそれほどロシアに忠義を尽くしたのは、自身が民族的にウクライナ人ではなく、ポーランド・ベラルーシ系の血も引くロシア系であったことも影響しているかもしれない。
 その第一弾は、政権発足年の2010年、ロシアが安全保障上重視するクリミア半島のロシア海軍黒海艦隊の駐留を2017年の期限切れから、さらに25年間継続することを認めたことである。これは、ソ連邦崩壊後にロシアと独立したウクライナの両国間で取り決めた駐留期限を撤廃する大きな政策転換であった。
 ロシアにとっては、クリミアのセヴァストポリを基地とする黒海艦隊を2042年まで継続運用することが可能となり、ウクライナを同盟国としてつなぎ止め、NATOに睨みを利かせるうえでも大きな足がかりを得たことになる。
 より決定的な第二弾は、2013年、仮調印を終えていた欧州連合(EU)との連携協定の正式調印を見送ったことである。これは、ウクライナを含む旧ソ連諸国との連携を深めるEUを警戒していたロシアがウクライナに経済制裁を科したことを受けての対応と見られた。
 連携協定はウクライナのEU加盟を直接に目指すものではなく、より緩やかな連携関係を構築するものに過ぎなかったが、ヤヌコーヴィチ政権がロシアの圧力を受けて調印を見送ったと受け止められたことは、ウクライナ国民の民族感情を刺激する結果となった。


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