世界で最も長い時間をかける人選プロセスを通じて行われてきたアメリカ大統領選挙で「独裁者」が誕生したことは、選挙を民主主義の唯一最高の手段と理解する常識にとっては、ショックである。トランプ自身が自らの政治を「常識の革命」と呼ぶように、まさに「選挙=民主主義」という常識も転覆されたと言えるだろう。
今後、深刻に懸念されることは、トランプ式の「常識革命」が世界を触発し、同様の反動的政策パッケージを引っ提げた選挙制独裁者が従来、民主主義の天使をもって任じてきた欧州諸国や、欧米圏外では相対的に民主的と評価されてきた諸国でも続々出現し、地球全域がドミノ倒しのように選挙制独裁に覆われていく事態である。
従来から、選挙は利害団体を介した金権政治の手段と化しており、中でもアメリカ大統領選挙は巨額の資金が投入される金権選挙の典型でもあり、民が主人公となる民主主義の本旨からは技術的な面で既に逸れていたのであるが、今回の逸れ方は、民主主義そのものが内部から瓦解するという本質的な現象である点で深刻である。
それでも、選挙が政治学の教科書どおりに正しく機能する限りは、間接民主主義という制約を伴いつつも、一応民主主義として機能するはずだという点に期待をかける向きもいまだ少なくないのであろうが、インターネット選挙はそうした期待を虚しいものにしている。
インターネット、中でも検証抜きのSNSを活用した近年の選挙は虚偽、事実の歪曲や誇張による大衆扇動を通じて権力を獲得するための有力なプロセスであり、独裁者にとって最高の武器である。ファクトチェックも追いつかず、十分な効果はない。選挙過程での大衆扇動は今後、ますますはびこるだろう。
真の民主主義を志向する限り、選挙への未練をきっぱり棄て、選挙によらない新しい民主主義への道を本格的かつ早急に模索すべき時である。━選挙制独裁への実践的な対抗法として、(怠慢や諦念、無関心からでなく)ある種の市民的不服従の意思表示としてあえて投票しない集団的な「不投票」運動を各国で組織することも、今後は一考以上に値するだろう。
その点、くじ引き=抽選は誰からも異議の出ない最高かつ最も簡明な選出方法である。実際、民主主義の祖である古代ギリシャのアテナイでは要職者をくじ引きで選出していた。とはいえ、現代社会にこうした古代民主制をそのまま導入することには無理がある。
複雑化した現代の政治行政運営に従事するには、政策立案と立法に関する一定以上の素養・知見と人格的・倫理的適性が必須であるので、それらの資格要件の有無をチェックする試験と免許制の導入は必要である。そうした免許を持つ市民の中からくじ引きで抽選された代議員が民主的な討議を通じて政策立案・立法に当たることが、選挙制に代わる新たな民主主義の骨子となるだろう。
ちなみに、大統領、知事、市長村長のように単独で行政を執行する職務は一人に権限が集中しがちで、たとえこれらの公職位を如上の免許‐抽選制で選出したとしても、独裁の危険がつきまとうので、こうした独任型行政長官の制度はそもそも民主主義にそぐなわないと考えられる。代議員で構成された会議体形式の代議機関が最も民主的な意思決定システムであろう。
こうした考えも、ある意味においては―「革命」という名の「復古」であるトランプ的な方向とは真逆的な―「常識の革命」と言えるかもしれない。しかし、これは民主主義がこれまでの民主主義の「常識」であった選挙を通じて腐食・崩壊していくという逆説的な流れを断ち切るための、前進的・進歩的な―その意味では真の含意での―「常識革命」である。