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平成岩窟王の死

2015-10-07 | 時評

43年間も死刑囚として拘置された末、収監先の医療刑務所で4日に89歳で死去した奥西勝氏は、半世紀以上にわたり無実を訴え続けた平成岩窟王であった。もう一人の平成岩窟王とも言える袴田巌氏が2014年に再審開始決定を得て、48年ぶりに釈放されたのとは明暗が分かれた。

奥西氏が犯人とされてきたいわゆる名張毒ぶどう酒事件(1961年発生)の特異性は、事件から比較的近い64年の一審無罪判決が検察側控訴で破棄され、それが最高裁でも維持・確定された後、第七次再審請求による2005年の再審開始決定が検察側異議により取り消され、さらにその取り消し決定を最高裁が破棄差し戻すも、高裁は再び取り消し、最高裁もこれを追認というように、司法判断が二転三転していることである。

それだけ有罪証拠があやふやということでもあり、無罪の合理的疑いは強い。真犯人が現われるようなレアケースを除けば、典型的な冤罪事件の特徴を備えていると言える。

それでも、一度は開いた再審の門が再び閉ざされる悲運の結果となったのは、小さな集落の宴会で発生した事件という特殊性があり、行きずりの第三者による犯行の可能性はないことが不利に働いたとも考えられるが、それ以上に、確定死刑判決を覆すことに消極的な政府・司法当局の一貫した暗黙裡の政策の結果である。

これまでにも、長く無実を訴え、再審請求で争う死刑囚は存在したが、そのような「係争死刑囚」に対しては、わずかな例外を除いて再審を認めず、しかし死刑執行もせず、死刑囚が精根尽き果て病死するのを待つという「緩慢な処刑」が暗黙の対処方針となっている。奥西氏もその典型例である。

このように死刑判決の既判力を絶対化する権威主義的な法政策は、支配層の強固な死刑存置政策ともリンクしたものであろうが、その人権侵害性は明らかである。

せめて無罪を示す明白な新証拠という高いハードルをクリアして出された再審開始決定に対する検察側の異議申し立てを禁止する法改正をするだけでも、人権侵害性は緩和されるというものだが、政府・議会にそうした問題意識が皆無というお寒い現況では、今後も冤罪を晴らせぬ岩窟王は跡を絶たないだろう。


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