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英国労働党史(連載最終回)

2014-10-15 | 〆英国労働党史

結語

 ブレア政権を継いだブラウン政権は、ちょうどかつてサッチャー政権を継いだメイジャー政権のようなものであった。熱気の中で始まった先行長期政権との比較から、必要以上に過小評価され、首相の指導力不足が指摘された。
 ブラウン政権に代わって初の総選挙となった2010年総選挙では、ブレアを立てた13年前の労働党と同様、若く新鮮イメージのデーヴィッド・キャメロンを党首に立てた保守党が勝利し、政権を奪還した。
 こうして「第三の道」は正式に終幕した。同時に、それは労働党史上最長の二代13年に及んだ与党生活の終わりであった。この「第三の道」時代は好況続きであったことも、歴史的な長期政権を可能とした追い風であったが、そうした風も2008年の世界大不況でやんでいた。
 ここでもう一度振り返ると、英国労働党はマルクス主義諸政党や共産党とは一線を画した英国独自の社会主義的な労働者階級政党として結党されるも、柔軟な党運営により、旧来の自由党に取って代わり、保守党に対抗する議会政党として議会政治に深く根を張った。その間、党は浮沈を繰り返しながらも資本主義の修正を試み、最終的には資本主義と完全に共存する第二の自由党として再生された。
 結果的に、第三極として現在は保守党と連立を組む自由民主党との差も相対化している。米国ほどではないが、「第三の道」以降、労働党が中道に寄ることで、英国政治のスペクトラムも狭まり、共産党を押しのけて労働党が埋めてきた左派の領域が空白になっている。10年総選挙で、小選挙区制の難関を突破して環境政党・緑の党が初めて1議席を獲得したのも、そうした左派の空白を埋めようとする小さな動きとも取れる。
 かつて労働党が自由党に取って代わったように、緑の党が労働党に取って代わるのか、それとも「英国の謎」を解き放って遅ればせながら英国でも共産党が台頭してくるのか、まだはっきりと見通せない。
 それは「第三の道」を終えた労働党が今後どこへ行くのかにもよるが、これもまだ未知数である。さしあたり、ブラウン党首を継いだのは1969年生まれという若手のエド・ミリバンドである。彼はやはり労働党の若手有力議員であった兄のデーヴィッドとともに著名なマルクス主義政治学者ラルフ・ミリバンドを父に持つが、マルクス主義者ではない。
 ブラウン内閣で外務大臣を歴任したブレア派の兄と党首選で争ったミリバンドは、「第三の道」からは距離を置こうとしているように見える。彼は「前分配政策」という理念の支持者を公言する。それは税や社会給付による公正な分配以前の段階で、政府が平等性を確保しなければならないという理念であり、伝統的な党内左派の福祉国家理念からも離脱しようとしているとも言えるが、その内容は曖昧で実質に欠けるところがある。
 スコットランド独立問題の背後に潜む地域間格差や、宗教テロの温床となる移民社会との格差などの問題が表面化する中、労働党は「第三の道」の復刻か、左派への原点回帰かの岐路に立っている。(了)

[追記]
2015年総選挙の結果、労働党は20以上議席を減らし、ミリバンド党首は辞任した。敗因は、労働党の伝統的地盤であるスコットランドで台頭してきたスコットランド民族党(スコット党)に議席の大半を奪われたことにあった。代わってスコット党は議席を大きく伸ばし、保守・労働に次ぐ第三党に躍進した。スコットランド地盤を半永久的に失った労働党にとっては万年野党か、イデオロギー的には近いスコット党との共闘かの選択を迫られることになろう(詳しくは拙稿参照)。その場合、「第三の道」復刻か、原点回帰かという点に関して言えば、伝統的左派路線に近いスコット党はブレア主義には否定的と見られ、「第三の道」復刻路線は非共闘・万年野党化―あるいは保守党との大連立―の道となるのではないだろうか。


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