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近代革命の社会力学(連載第446回)

2022-06-21 | 〆近代革命の社会力学

六十三 レバノン自立化革命

(4)限定的な成果と続く外国の干渉
 レバノン自立化革命は、2005年4月のシリア軍撤退により一定の成果は上げたとはいえ、駐留軍と諜報機関のすべての撤収を完了したとのシリア政府の発表にもかかわらず、西側ではシリアが依然として潜入諜報員を残留させ、対レバノン工作の余地を残しているとの分析がなされていた。
 このことは、親シリアのヒズボラが大きな勢力を保ち、シリアの政治的な支援を引き続き受けている限り充分にあり得ることであり、実際、革命後はヒズボラがシリアの代弁者となった。―2020年、国連レバノン特別法廷はハリーリー元首相暗殺事件に関連し、ヒズボラ構成員一人に有罪判決を下した。
 国内の政治力学的にも、反シリアと親シリアの対立は終焉せず、革命を主導した勢力を結集した反シリア派の3月14日連合に対して、親シリア派も3月8日連合を組織して対抗するなど、以前にも増して両派の対立は鮮明となった。
 一方、革命後は暫定内閣を経て、反シリア派のフアード・シニオラ内閣が成立したが、これにはヒズボラも加わり、反/親シリアの大連立政権となった。勢いを得たヒズボラは強硬な反イスラエルの立場から2006年7月、イスラエルに越境攻撃を仕掛けたため、報復としてイスラエルもレバノンに侵攻し、戦争となった。
 ヒズボラも参加していたとはいえ、シニオラ政権では後ろ盾のサウジアラビアとアメリカの影響力が増したことへの反発から、06年11月にはシーア派閣僚が集団辞職、さらに2006年12月以降2008年にかけて、親シリア派主導で再び抗議デモの波が隆起した。
 今般の抗議デモはカタールの仲介を経た2008年のドーハ合意で対立勢力が和解したため、革命に進展することはなかったが、シニオラ首相は09年に辞職、代わって暗殺されたハリーリー首相の子息サアド・ハリーリーが首相に就任した。サウジアラビア生まれで同国籍も持つサアドの政権ではサウジアラビアの影響力が一層増していく。
 一方、ヒズボラは元来シーア派教義を共有するイランの軍事的な支援を受けていたことから、革命以降、相対的に浸透力を減じたシリアに代わって、イランがヒズボラを介して影響力を増していく。その結果、レバノンは中東地域におけるサウジアラビアとイランの勢力圏拡大抗争の前線の一つとなる。
 こうして、2005年レバノン革命は限定的な成果を上げつつも、なお外国の干渉を排除できないまま収斂し、国内的にも汚職の蔓延と政局の混乱から、2020年8月のベイルート港大爆発事故後に頂点に達する経済破綻へと向かうが、この件は本稿の論外となるので論及しない。


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