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貨幣経済史黒書(連載第32回)

2019-12-15 | 〆貨幣経済史黒書

File31:国際通貨基金の禍

 国際通貨基金(IMF)は、第二次世界大戦後の国際金融の協調体制を構築するため、いわゆるブレトン‐ウッズ協定に基づき創設された国際機関である。この機関の創設に当たっては、イギリスの著名な経済学者メイナード・ケインズも寄与しているが、彼以上にアメリカの財政実務家でエコノミストのハリー・ホワイトの立案が大きな役割を果たしたため、ホワイトが事実上、IMFの産みの親に近い存在である。
 ホワイトは、後にソ連のスパイであったことが明らかとなる人物である。彼は心情的にソ連シンパであり、第二次大戦中はソ連の協力者として情報を提供していたとされる。
 ソ連は最終的にアメリカとともに連合国側に左袒したから、彼の行為は、戦後の米ソ冷戦期のスパイ活動とは異なり、必ずしも反逆的とは言えない。ホワイト自身、冷戦が本格化する前に、スパイであったことを暴露され、議会で追及された直後に死亡しているため、冷戦期のスパイ活動に関わることはなかった。
 ホワイトが心情的に親ソ派だったとしても、エコノミストとしてのホワイトはマネタリスト志向であり、そうした彼の経済イデオロギーはIMFにも継承されていると言える。発足当初のIMFはかつて金本位制が担っていた自動的な調節作用を、―まさに機関名が示すとおり―国際的な安定基金という機関的な統制力によって代替しようという趣旨から、国際金融秩序の回復と安定のかじ取り役という性格が強かった。
 IMFの性格が変質するのは、1971年のニクソン・ショックを契機にブレトン‐ウッズ体制が解体された後のことである。それまでのIMFは戦後復興機関の一環としての役割が強かったため、母体となったブレトン‐ウッズ体制の終焉とともに廃止されてもよかったところ、そうはならず、今度は新興資本主義国への融資という役割を生き残りの鍵としたのだ。
 このようなブレトン・ウッズ後のIMFの役割は、経営難企業のメインバンクとして融資を通じて経営再建に干渉する銀行の役割と似ている。こうした新IMF最初の顧客は、1980年代を通じて巨額の債務危機に苦しんだ中南米諸国であった。これらの破綻危機に瀕した諸国に対する救済的融資の条件として、緊縮財政や公企業の民営化、通貨切り下げなどを柱とする「構造調整」と称される財政政策を課すことが慣習化した。
 このようなIMF主導の融資スキームを「ワシントン・コンセンサス」と呼ぶ向きもあるが、そのような合意が明確に存在しているわけではなく、あくまでも慣習的に形成されたスキームにすぎない。それでも、ワシントンとの連動が示唆されるのは、IMFがアメリカ主導で創設され、本部もワシントンにあるため、同機関がアメリカ政府の別動隊とみなされているからである。
 いずれにせよ、「構造調整」は国際慣習として定着し、その後、1990年代には前回も見たソ連邦解体後のロシアの「ショック療法」において、史上最も大規模かつ過激に断行され、ハイパーインフレを引き起こしたことを記した。これは極例としても、IMFの「構造調整」スキームは、アジア、アフリカを含めた多くの新興国にも適用され、短期的な財政再建には成功しても、ただでさえ乏しい社会サービスの後退や貧富差の拡大を助長した。
 「構造調整」はその適用を受けなかったバブル崩壊後の日本のような国においても、経済イデオロギー的な枠組みとしては大いに影響を及ぼし、いわゆる「構造改革」の名のもとに類似した政策プログラムが独自に追求されるなど、IMFは潜在的にも大きな政策決定力を持つ。
 発足当初は加盟しなかったソ連をはじめとする東側の社会主義陣営も資本主義化して以来、続々と加盟したため、IMFは本年度末時点で世界の独立諸国のほぼすべてをカバーする189加盟国を擁する最大規模の巨大国際機関となっており、現代の国際貨幣経済システムにおいて専制的な支配力を行使している。雲の上にあるような一見優雅な国際機関だが、末端の生活を破綻させる禍をもたらす暗黒の存在―。それが、IMFである。


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