ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

戦後ファシズム史(連載第2回)

2015-10-29 | 〆戦後ファシズム史

第一部 戦前ファシズムの清算と延命

1:ドイツの場合
 戦後ファシズム史の出発点は、まず戦前ファシズム体制の清算に始まる。これは戦前ファシズム体制の二大巨頭であったドイツとイタリアが世界大戦に敗れたことを契機とする。清算が先行したのはドイツであった。
 ドイツにおける戦前ファシズム=ナチズムの清算は、連合軍による占領統治という受動的な状況下で着手された。しかも、ドイツ占領はアメリカとソ連による分割占領という変則的なものであったので、ナチズムの清算の方法にも相違が生じるというちぐはぐさを伴った。
 このプロセスは「非ナチ化」と呼ばれ、特にアメリカ側占領地域ではナチ党員の公職追放が徹底された。このパージは1946年3月の「ナチズム及び軍国主義からの解放のための法律」をもって法的根拠を与えられ、占領下の各州ごとに非ナチ化審査機関でナチスとの関わりの程度に応じて処分が決定された。ただ、アンケート調査をもとにした審査であったため、技術的な限界を免れなかった。
 一方、ソ連占領地域ではナチス指導層と末端分子が峻別され、末端分子は一部領域を除き、パージを免除された。ただ、この地域では親ソ派のドイツ共産党が優遇されたため、ナチ党が共産党に置換されるような措置が取られ、後の東西ドイツ分裂の基礎となった。
 このような一種の粛清による非ナチ化とともに、ナチス最高指導層に対しては国際軍事裁判による司法的処理も行なわれた。これはドイツ・ファシズムとしてのナチズムが人種差別的な人種ファシズムの性格を濃厚に持ち、ユダヤ人虐殺に象徴される数々の人道犯罪を犯したためであった。
 もっとも、このような勝者による敗者の裁判には公正さの点で疑念はあったが、このニュルンベルク裁判を通じて、人道に対する罪など、今日の国際人道裁判に通ずる基軸的な法概念が確立されたのである。
 こうした連合国主導での受動的なナチス清算、中でもアメリカ主導でのパージに対しては、ドイツ側の不満が強く、49年の占領統治終了後、新生西ドイツ最初の宰相となったコンラート・アデナウアーは指導層を除く旧ナチ党員に対するパージの解除を主導し、非ナチ化に終止符を打った。
 これによって、旧ナチ党員の大量社会復帰が実現し、ナチズムの清算は腰折れとなる。ただ、西ドイツではナチ党の再結成は法律で禁じられたため、後継政党が議会参加する道はなかった。また、ナチス犯罪には時効を認めず、ナチス幹部の生き残りに対する刑事訴追を恒久的に継続するなど、ナチス復活阻止は党派を超えた国是となった。
 一方、社会主義政党(実質共産党)による一党支配体制となった東ドイツでは体制イデオロギー上反ファシズムが掲げられ、厳しい思想統制が実施されたため、ナチズムに限らず、ファシズムの復活はさしあたりあり得なかった。
 しかし、自由主義を標榜した西ドイツでは、ナチスのシンパは地下に潜る形で活動を続け、やがて半ギャング的なネオナチ運動として顕在化していく。とはいえ、90年の東西ドイツ統一後もナチズムは引き続き禁圧されていることから、ナチ党の再結成には至っていない。
 そうした中、民族共同体思想などナチス類似の綱領を掲げる「国家民主党」が合法政党として台頭してきている。同党は1964年に当時の西ドイツで結成された新興政党であるが、60年代以降いくつかの州議会で議席を獲得するようになった。連邦議会での議席獲得歴はまだないが、近年得票を増やしており、連邦政府で非合法化も検討されているが、結社の自由との兼ね合いから実現していない。
 同党は明白にナチズムを標榜せず、近年はむしろ移民規制を掲げる反移民政党として一定の注目・支持を集めていると見られ、今後の動向が注目される。ただし、ドイツの反ファッショ政策が変更されない限り、同党の躍進は想定しにくい。


コメント    この記事についてブログを書く
« 晩期資本論(連載第71回) | トップ | 戦後ファシズム史(連載第3回) »

コメントを投稿