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近代革命の社会力学(連載第171回)

2020-11-23 | 〆近代革命の社会力学

二十三 チリ社会主義革命

(4)「百日社会主義共和国」の施策と内紛
 1932年6月4日から同年9月13日までのおよそ100日天下に終わったため、いささか揶揄を込めて「百日社会主義共和国」とも呼ばれる暫定評議会政権がまず当面したのは、大恐慌が招いた目下の経済危機への対処であった。
 暫定評議会は、緊急の困窮者救済策として、賃貸住宅からの立ち退き強制の禁止や預金引き出し制限を伴う3日間のバンク・ホリデー、貯蓄貸付組合や質店に質入れされた日用品の返還、さらには、失業者向けの無料食事の提供などを矢継ぎ早に打ち出した。
 また急激な財政悪化を食い止めるべく、暫定評議会は首都の宝石店に警察部隊を差し向け、現金化可能な証書による補償付きで宝石を押収するという奇策にも走った。さらに、チリで営業する内・外国銀行の保有する預金や債権を一方的に国有化する措置も講じた。
 こうしたいささか強引な緊急措置以外に、いくらか「社会主義」に沿った政策と言えたのは、生活価格総局を設置し、主食品の価格統制を行ったことぐらいであった。そもそも漠然とした社会主義の旗の下に連合した暫定評議会は、統一的な理念も綱領もないままスタートしたため、長期的な展望を伴う施策を実行する力量を持っていなかった。
 この時点での暫定評議会メンバーのうち、最も急進的だったのはグローベ大佐とマッテであったが、外交官出身のダビラはより穏健で、社会主義の急進化には否定的であった。権力構造的には、陸軍を支持勢力に持つダビラが優位にあった。
 元来、陸軍はイバニェス元大統領の支持者が多く、単にモンテーロ前大統領への反発からモンテーロ政権を転覆する革命を支持したにすぎず、社会主義にはそもそも否定的であったから、いずれ亀裂が生じることは自明であった。
 ダビラはいったん辞職した後、6月13日に陸軍の支持を受けて事実上のクーデターを起こし、グローベとマッテをイースター島に追放したうえ、形だけのプガ議長も解任して、自らが後任に就いたのであった。この政変により、暫定評議会はダビラ派で固められ、革命政権の構造が大きく変化した。
 ダビラは翌月には暫定評議会を解散して自ら暫定大統領への就任を宣言したうえ、非常事態を宣言し、検閲を導入しつつ、中央計画経済の手法による経済再建を試みようとした。彼は従前の合議制を廃して、権力集中的な手法で社会主義共和国を軌道に乗せようとしたのである。
 同時に、ダビラは革命以来、廃止されていた議会を復活させるべく、新たな議会選挙を布告するのであったが、ダビラには民衆的な支持がなく、さらに頼みの陸軍との間にも亀裂が生じ始めており、政情は著しく不安定化し、社会主義共和国はにわかに凋落へ向かう。


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