ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

マルクス/レーニン小伝(連載第28回)

2012-10-26 | 〆マルクス/レーニン小伝

第1部 略

第5章 「復活」の時代

(2)エンゲルスからレーニンへ(続き)

離反主義者レーニン
 レーニンやプレハーノフらによって再建されたロシア社会民主労働者党は、基本的にプレハーノフの理論に沿った綱領を採択したが、レーニンの独創的な知性は、ほとんど初めからプレハーノフの教条主義とは相容れなかった。
 彼は党に参加する前年に書いた有名な論文「何をなすべきか」の中で、労働者は自力では労働組合的意識を超え得ないため、その革命的意識は外部の知識人によってもたらさなければならず、労働者の自発的・自然発生的な労働運動の発展を待っているだけであってはならないとする「外部注入論」を展開するとともに、ロシアのような専制下ではとの留保つきで、革命運動は少数精鋭で秘密裡の職業革命家組織によって主導されなければならないとする「陰謀組織論」を提唱している。
 このようなレーニンのエリート主義的な所論はすでにマルクス理論からの離反を示している。たしかにマルクスも自らの理論をプロレタリアートの階級闘争の武器として提供しようと努めた「外部」の知識人ではあったが、彼は労働組合こそがまさに労働者の日常闘争の現場であると同時に、賃労働制廃止へ向けた革命運動の現場でもあるとみなしていたのであった。従って、マルクスにとって労働者の革命的意識は外部から注入されるのではなく、内部から醸成されるべきものである(内部醸成論)。
 それゆえ、プロレタリア階級の解放はプロレタリア階級自身の手で闘い取られなければならないのである。そして、マルクスのような共産主義者たち―「革命家集団」と置き換えてもよい―は、他の労働者党と比べて特殊な党ではなく、特別な原則を掲げて運動を型にはめようとするものでもなく、ただプロレタリア運動の中の最も断固とした推進的部分にして、洞察力を持った集団にすぎないのであった。このことは、専制下であろうと、民主制下であろうと変わりない。
 レーニンはこのように革命家集団が後方から労働者階級を押していくイメージのマルクスの「革命後衛理論」を、逆に前方から引っ張っていくイメージの「革命前衛理論」にすり替えてしまっている。
 またプロレタリア革命に関しても、レーニンはやがて、マルクスが想定していなかった労働者と農民(貧農)との同盟に基づく「労農革命論」を提起し、資本主義が十分に発達し切っていない段階での革命的蜂起の可能性を認めた。これは後年、教条主義的なプレハーノフとも鋭く対立する分岐点となる。
 プレハーノフはカウツキー流の革命待機論者ではなかったけれども、ロシアにおける専制打倒と将来のプロレタリア革命との間に相当の期間を見る―それはむしろマルクスの「革命の孵化理論」に沿うものであった―ことから、結果として待機論に流れる可能性があった。実際、当初レーニンと協力していたプレハーノフはやがてロシアにおける待機論派とも言え、カウツキーによっても支持された社会民主労働者党メンシェヴィキ派へ合流し、レーニンが指導するボリシェヴィキ派とは袂を分かつのである。
 このように、レーニンの理論―レーニン主義―は、マルクスの概念を利用しながらも、とりわけ実践論の領域ではマルクスの理論から離反していくのである。レーニン主義はロシア革命後、レーニンとボリシェヴィキの体制が固まって以降、体制教義の地位を獲得したことで、マルクス主義そのものの正統教義とみなされるようになったが―言わば、ローマ帝国による国教化以降のキリスト教におけるカトリックの地位に匹敵する―、実際のところ、レーニン主義とはマルクス理論に対する離反主義であったのだ。
 レーニンは権力掌握後、ボリシェヴィキに対する厳しい批判者となったカウツキーを「背教者」と名指して非難する論文を発表した。たしかに当時のカウツキーはマルクス主義を離脱しつつあったが、レーニンもまたカウツキーとは違った流儀で「背教者」であったのだ。
 ただ、レーニンがあえて「背教」に出たのは、当時ドイツを中心にマルクス主義が改良主義的穏健化の道をたどっていた現状に満足せず、革命実践に活を入れ直そうとしたためであった。その際、彼はかねて加入したことがなく、その理論に否定的であったナロードニキを一部再評価するのである。そのことは特に農民との同盟を重視する労農革命論に如実に表れているが、陰謀組織論もナロードニキ系過激派組織「土地と自由」の手法にならったものであった。
 こうしたマルクス理論に対するナロードニキ的離反の根底では、資本主義的工業化のめざましい進展の中にあってなお農業国でもあったロシアの現実に直面しつつ、革命と権力獲得を急ぐレーニンの「力への意志」―マルクスには決定的に欠けていたもの―が働いていたはずである。この点で、レーニンはマルクスよりニーチェに近かったと言ってよいかもしれない。


コメント    この記事についてブログを書く
« マルクス/レーニン小伝(連... | トップ | マルクス/レーニン小伝(連... »

コメントを投稿