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近代科学の政治経済史(連載第53回)

2023-03-15 | 〆近代科学の政治経済史

十 宇宙探求から宇宙開発へ(続き)

冷戦と宇宙探査前夜
 観念的な宇宙探求が無人/有人での宇宙飛行を通じた現実的な宇宙探査に進展するのは、第二次大戦後を経た1950年代後半期のことである。その点、前回見たように、ロケット技術で先行していたナチスドイツは宇宙探査に進む前に敗戦・崩壊したため、ドイツはこの分野では脱落した。
 代わって、ナチスの科学者を引き抜いた戦勝国側、中でも米・ソ・仏三国がナチスのロケット技術を再利用する形で、宇宙探査に乗り出していく。これが後の宇宙開発競争時代の序章となる。
 その点、アメリカは要領の良いことに、大戦末期からドイツ人の優秀な科学者を大量に引き抜くペーパークリック作戦なるヘッドハント作戦を軍主導で実施し、戦後まで継続した。
 1600人以上の科学者を引き抜いたこの作戦を通じてフォン・ブラウンを中心としたドイツ人ロケット工学者の引き抜きをソ連に先んじて成功させたことは、後に国家航空宇宙機構(NASA)を立ち上げるアメリカが宇宙探査で世界をリードする上での知的な原始資本となった。
 アメリカがとりわけロケット工学分野でのヘッドハントに執心したのは、航空工学分野ではすでに世界をリードしていたアメリカも宇宙工学分野では未開拓の段階にあったことが意識されていたためと考えられる。
 他方、ソ連はフォン・ブラウンらの獲得では出し抜かれたものの、ある程度のドイツ人技術者を連行して協力させた。ただし、元来ソ連にはツィオルコフスキーの先駆的なロケット理論が存在し、これをベースとする独自の研究開発に進むが、そこには航空戦力でアメリカに出遅れていたソ連が宇宙空間に到達する新型兵器で対抗しようとする戦略的な意図も秘められていた。
 一方、フランスもV2ロケットに強い関心を示し、ドイツ人技術者を招いて同型ロケットの改良に取り組んだが、軍事色が強く、フランスが宇宙探査を本格化させるのは米ソに対して一歩遅れ、1960年代以降のことである。
 このように、宇宙探査にはその前夜から新型兵器の開発という軍需目的と学術目的とが混淆・交錯していたのであり、東西冷戦の始まりという大状況下で軍事・学術を含む東西の総力戦的な体制間競争が展開されていく中、宇宙探査が主要な競争分野に入ってきたことを示していた。

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