ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近代科学の政治経済史(連載第19回)

2022-09-09 | 〆近代科学の政治経済史

四 近代科学と政教の相克Ⅱ(続き)

優生学の誕生
 ダーウィンの進化論は宗教界ではおおむね不評であったが、世俗政治においては、俗流に歪められた形で受容されることとなった。そのきっかけを作り出したのが、母方からダーウィンの従弟に当たるフランシス・ゴルトンである。
 ゴルトンは遺伝学者・統計学者として知られるが、その名を著名にしたのは優生学の創始者としてである。優生学はダーウィン進化論を遺伝学と結びつけ、人類集団の遺伝的な質を向上させることを目的とする学問とされる。
 ゴルトンは人の才能がほぼ遺伝によって受け継がれるものであるとし、動物の品種改良と同じように、人間にも選択交配を適用すれば高い才能を作り出し、ひいては良い社会が形成されると主張した。
 裏を返せば、障碍という能力制限的特質も遺伝によってもたらされるものであるから、そうした負の遺伝要素についてはこれを淘汰することで人類社会は改善されていくということになり、実際、ゴルトンは後にこうした意味で、優れた遺伝子を保存し、劣った遺伝子を淘汰する優生思想へと到達したのである。
 実は、ダーウィン自身も『人間の由来』という別著の中で、弱者が生きて家族を持つことは自然選択の利益を失うことになると指摘しており、優生学の萌芽はダーウィンの所論にも見られていた。しかし、ダーウィンは弱者への援助を控えることは人類の同情の本能を危険にさらすとも指摘して、人道思想を支持した。
 これに対して、ゴルトンは弱者保護政策は弱者を人類社会から廃絶すべきはずの自然選択と齟齬を来たすとして、弱者保護に反対した。

優生学の政治利用
 実際のところ、ゴルトンの所論はダーウィン理論の形式的・皮相的な二次加工であって、同時代的にも批判者はあったが、その単純さゆえに科学の素人にもわかりやす過ぎるという危険性を内包していた。
 そのためか、ゴルトン自身は弱者淘汰のための政策的手段、中でも絶滅のような強権的手段は何ら提示しなかったにもかかわらず、優生学は科学的究明よりも政策的手段の開発へと突き進んでいく。
 特に、米国が優生学研究の先端地となった。米国有数の優生学者であったチャールズ・ダベンポートが設立した優生記録所が米国における優生学研究の拠点となり、彼の著書・論文が多大な権威を持った。
 また、公民権法会改革前の米国では、優生学が人種差別に対する新たな科学的根拠として援用され、ダベンポートの『人種改良学』がその理論書となった。その結果、20世紀の二つの大戦間期の米国では、ダベンポート理論に沿って、移民制限や人種隔離のような人種差別的政策が連邦レベルでも追求された。
 同時に、知的障碍者・精神障碍者の結婚を制限する婚姻制限政策が州レベルで立法化され、さらに、障碍者への強制不妊手術を正当化する断種法の制定も1907年のインディアナ州法を皮切りに相次いだ。
 こうした断種政策は、その後、北欧諸国からスイス、カナダ、オーストラリア、日本など同時の先進/新興諸国にも拡散し、中でもドイツでは後にナチスによる大規模な障碍者抹殺にまで行き着くが、この究極点は政治による科学の悪用事例として後に別途見ることにする。

コメント

英国君主制の行方

2022-09-09 | 時評

在位70周年96歳のエリザベス2世英国女王の死去は、英国君主制にとって転機となるかもしれない。70年と言えば、存命中英国民の多くにとって人生のすべてであり、戦後英国史のすべてに近くもあり、女王はそうした総戦後史の生き字引でもあった。

元来、エリザベス2世は18世紀に成立したドイツ系王家ハノーヴァー朝(20世紀初頭にウィンザー朝に改名)の系統であるが、70年も在位すれば、「エリザベス朝」と呼んでもよい独自の存在性があったと言える。

同時に、女王は政治的権能を喪失した「君臨すれども統治せず」の象徴君主として、16‐17世紀の同名の専制女王エリザベス1世とは対照的に、党派的言動を控え、愛嬌を振りまく存在を維持した点で、現代の残存君主制のモデルとしても、君主制護持のイデオロギー装置の役割を果たしてきたとも言える。

代わって自動的に70年ぶりの男性国王に即位したチャールズ3世は、王太子時代から、不倫離婚や物議を醸す言動など、母の前女王とは対照的に、評判の芳しくない人物である。そうなると、英国民の君主制に対する見方にも変化が生じるかもしれない。

もっとも、英国民の君主制支持は相当に根強く、チャールズ新国王が不評判だからといって、君主制廃止論は隆起しそうにないが、新国王は自身の直系子孫にしか王族の地位を認めない王室スリム化論者とも言われる。その真意は不明だが、王室が縮小されれば、将来的に継嗣断絶による君主制廃止ということもあり得るだろう。

そもそも君主制はそれをいかに〝スリム化〟したところで、法の下の平等という近代的法則と本質的に両立しない旧制であるが、象徴君主制は民主主義とも辛うじて窮屈に同居できるだけに、革命による廃止の標的となりにくく、これまでのところそうした実例もないが、家系断絶による自然消滅ならあり得る。

そうした意味では、英女王の死没は、英国君主制を超えて、世界の君主制の将来に関わる出来事となるかもしれない。その点、日本では一足先に皇室のスリム化が進んでおり、皇位継承を男子に限定する規定と合わせ、終焉も一足早いかもしれない。

コメント