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共産法の体系(連載第6回)

2020-01-23 | 〆共産法の体系[新訂版]

第1章 共産主義と法

(5)交換法から配分法へ
 ここで、共産法の体系に関して、法における正義という形而上学的な次元における特質からも見ておきたい。その際、ここでは現在でも法哲学論議の最も基本的な規準としてしばしば援用されるアリストテレスの正義論に立ち返って考えてみることにする。
 アリストテレスの功績は、罪と罰や契約における給付と対価のような「交換的正義」と、各人の価値に応じた配分を意味する「配分的正義」とに正義の位相を二分したことにあった。
 その点、ブルジョワ法は、明らかに前者の交換的正義を正義の主軸として成り立っている。発達した資本主義社会におけるブルジョワ法はある意味で、交換的正義の到達点にあると言ってよいだろう。
 ブルジョワ法の中心的な体系は契約法である。これは商品が支配する資本主義社会が法的には売買契約を主軸として成り立つことからして、ごく当然の帰結である。そこでは、まさに給付と対価の交換関係を衡平に規律することが、法的正義の本質となる。
 もっとも、発達したブルジョワ法にあっては、契約当事者間における強弱の力関係を考慮した配分的正義を目指す社会法も一定限度では取り入れられているが、それは本質部分ではなく、あくまでも修正的な補充法としての意義しか持たない。
 ブルジョワ法では、こうした交換的正義の観念は私法に限らず、刑法にも及び、罪と罰との均衡が求められる。そこでは古来の復讐の観念が応報刑の法観念に変換されて、法的正義の衣をまとうことになる。反面、犯行者個々の特性に応じた改善更生を目指す配分的正義論は背後に退けられ、イデオロギー的に否定されることもある。
 対照的に、共産法における正義は配分的正義の側面に軸がある。交換的な契約の観念が完全に消失するわけではないとしても、貨幣経済の廃止により少なくとも金銭的な対価関係は消失するので、契約法の意義は大幅に減少する。
 代わって、配分的正義を軸とする法体系が構築され、社会法はもはや単なる補充法ではなくなる。むしろ社会法と私法の区別が相対化されていき、私法にも社会法の原理が埋め込まれていく。
 また刑法の分野でも交換的正義に基づく罪刑均衡の観念は背後に退き、代わって配分的正義に基づく個別的・教育的な理念が前面に立ち現れる。その究極は刑罰という本質的に交換的な法制度そのものの廃止にまで進むことになるが、詳細は該当の章で述べる。

*貨幣経済が廃される共産法下でも物々交換は認められるので、交換契約はむしろ盛んになると予想されるが、物々交換は金銭による売買契約とは異なり、より文化的・儀礼的な交換関係の原理で律せられると考えられる。

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