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共産教育論(連載第8回)

2018-10-22 | 〆共産教育論

Ⅱ 義務保育制度

(1)共産主義と保育
 「保育」という日本語は、保護と教育とを合成した微妙なニュアンスを含む用語である。つまり、「保育」とは語義上、福祉と教育の混合された営為である。しかし、英語ではchildcareと福祉ケアの側面が強調されることになり、教育的営為のニュアンスが表面に現れない。
 実際、保育の語を用いる日本の場合も、保育は教育課程の一環としては位置づけられておらず、幼児教育は基本的に幼稚園の役割となっているが、幼稚園教育は義務化されず、任意的である。このように幼稚園を義務教育から外し、保育から区別する政策は多くの資本主義諸国で採用されている。
 その結果として、子どもを幼稚園へ通わせる経済的・時間的余裕のある階層と、共働きもしくは片親(特に母子)家庭のため、子どもを保育所へ託さざるを得ない階層との格差が乳幼児期から発生し、この格差は子どもの人生設計にも少なからぬ影響を及ぼす結果となる。
 その点、共産主義社会における保育の概念は、資本主義社会のそれとは相違し、明確に教育の準備段階として位置づけられる。すなわち、それは義務教育に相当する基礎教育課程の前段階としての幼児教育課程であって、基礎教育課程と同様に義務的である。
 このような義務保育制度は、Ⅰでも見たとおり、子どもの第一次的な教育責任を親ではなく、社会が負う共産主義社会の原則から導かれるものである。とはいえ、保育を基礎教育の前段階として位置づけるにしても、義務化までする必要があるかどうかについて疑問もあり得よう。
 しかし、「鉄は熱いうちにうて」のたとえどおり、早幼児期の保育は共産主義社会を担う社会的な人間の育成という点で重要性を持っている。そこで、基礎教育課程教育のみならず、保育課程に関しても義務化する必要性は高い。
 あるいは、義務化するならば、むしろ幼稚園教育を義務化するほうがより教育的ではないかという疑問もあり得るが、共産主義的保育においても、福祉的な託児ケアの要素が完全に除去されるわけではないこと、また共産主義的保育はいわゆる「英才教育」の場ではないことから、幼稚園教育という形態を採らないのである。
 その一方で、幼稚園教育に相当するものは保育の中に内包される形で、止揚的に統合される。すなわち、保育の概念が教育的に拡張される結果として、保育の中に幼児教育の要素が組み込まれることになるのであるが、その具体的な内容については節を改めて述べることにする。

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