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持続可能的計画経済論(連載第41回)

2018-09-03 | 〆持続可能的計画経済論

第10章 計画経済と政治制度

(1)経済体制と政治制度
 前章まで新たな計画経済―持続可能的計画経済―のあり方を検討してきたが、最終章となる本章では、そうした新たな計画経済体制を上部構造において保証する政治制度のあり方について見ておきたい。
 一般的に、経済体制と政治制度の間に論理必然的な関係があるかと言えば、はっきりとイエスとはならない。しかし、緩やかながら論理的な対応関係を見出すことはできる。
 例えば、資本主義は自由経済を志向するから、経済規制を最小限にとどめる自由主義的な政治体制、特に議会制と結ばれた時に最も効果を発揮する。これは、議会制が多額の金銭をつぎ込む公職選挙を土俵とする金権政治の代表的制度であるからしても、資本が自らの保証人となる政党・政治家を通じて経済界の総利益を保持するという持ちつ持たれつのパトロニッジ関係を構築しやすいからである。
 他方、旧ソ連のような行政指令経済に基づく社会主義経済体制は、当然にも経済司令塔となる政府と計画行政機関を必要とするので、相当に集権的な国家体制と結びつく。その点、諸政党の寄合となる議会制はこの体制には適合しにくい。
 これに対して、新たな計画経済は行政指令型ではなく、計画経済の対象企業自身による自主的な共同計画を軸とするから、計画行政機関は無用である。そこからさらに、国家という制度そのものも不要とするかは、一つの問題である。
 ここでは、貨幣制度の廃止が鍵となる。公式貨幣を発行する通貨高権を失った国家はもはや国家ではないとすれば、貨幣経済によらない共産主義的計画経済は国家制度とは両立しないことになる。
 もっとも、国家廃止は必ずしも計画経済特有のものではなく、貨幣経済は残すが、国家の通貨高権は廃し、私的通貨制度に純化するという最もラディカルな自由市場経済論に立つなら、少なくとも理論上は「国家なき資本主義」も成り立つことになる。
 しかし、実際のところ、国家の権威づけを一切持たない私的通貨が取引の安全を担保されて安定的に流通するとは想定し難く、「国家なき資本主義」はまさに机上論にどとまるだろう。
 結局のところ、計画行政機関を持たない自主的な計画経済体制は、国家制度によらない新たな政治制度を上部構造に持つことになると考えられるが、そのグローバルな大枠となるのが世界共同体である。

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